ポットを選ぶ

紅茶のいれ方のところで、 お茶を飲むには陶器のポットが絶対に必要だと書いた。 そこではさらりと単に陶器のポットと書いただけだったが、 ポットも選択に気を使う必要があるかと思う。

すると、 ポットで紅茶の味が変わるのかと、不審に思われる向きもあろう。 こういう場合に断定的に答えられれば、 世の中なんでも話は簡単になるのだが、 実際にはそうもいかない。 変わるといえば変わるし、変わらないといえば変わらないと、 言うしかなく、 甚だ歯切れが悪い。

とはいっても、ある程度断定しないと話が晦渋になる。 そこで、例によって教条的に書いてみよう。

重視しなければならないのは、ポットの形である。 日本茶を出すような、まるい急須型のものがいいように思われる。 お湯の対流が妨げられず、 ポットの中のリーフの動きが自然になるように思われるからである。 なお、これだけ断定的に言っておいて申し訳ないが、 これは単に私がそう思うというだけの話であり、 科学的な根拠があるわけではないので、 軽く受け流してほしい。

とにかく、形が急須型なら、あとはどうでもいい。 金が張ってあろうが、 気の利いた模様が描いてあろうが味には影響しない。 そういう意味で、ポットによって味が変わると言えば変わるし、 変わらないといえば変わらないのである。

あまり値段の高いものを買ってもしょうがないので、 ノリタケ あたりの、まるいポットを買えば十分だろうと思う。 模様はどうでもいいので、好きなものを選べばいい。 無柄のホテルブランドというのが、 シンプルであり、却ってお洒落かもしれない。

私は、専ら、ウエッジウッドのポットを使っているが、 これが一番理想的な形をしているような気がする。 これも模様は何でもいい。 金が縦横無尽に張ってあるような、 手入れを考えるといやになるようなものから、 案外と安価なものもある。

ウエッジウッドのポットで一番安いのは、多分、 ケシの花の模様の印刷してあるもので、 日本で人気があるのは野いちごの模様がプリントされてあるものである。 ワイルド・ストロベリーという名で知られており、 奥様方に人気があるらしい (とはいうものの、あくまで世代依存の話であろう)。 どっちでもいいのだが、 ポットを買うにあたって、当時の女房の意向も配慮し、 それを買った。 模様も無難で、金もさほど張っていないので、 手入れも楽だ。

ウエッジウッドのポットのいいところは、 茶こしがなくても、最後までリーフが出てこないところで、 あのポットの形は、そういう点で、 うまくできていると思う。

で、手入れの話だが、 今では家の者がうるさいために、その都度洗剤で洗っているが、 一人暮しをしていたときには、 茶しぶで真っ黒になってもそのまま使っていた。 洗剤で真面目に洗わず、水洗いですませていたからである。 奥様方にとって憧れのワイルド・ストロベリーを、 こともあろうに茶しぶで真っ黒にするなど言語道断であろうが、 味が変わるわけではないので、私にはどうでも良かった。

と、いうか、 いくら英国製のポットでも、 使わないで、死蔵していたのではもったいない。 かけるのはさすがに勘弁してほしいが、 茶しぶで黒くなるぐらい使ったほうがいいというのが、 私の考えである。 もっとも、その都度洗剤で丁寧に洗えばいいのだが、 それを考えると、 ついつい紅茶を飲むのがおっくうになってしまう。 これでは本末転倒である。

さて、そのポットだが、日本では大きいのと小さいのとがある。 デパートの店員に聞いたところ、 大きいやつが正式で、 小さいのは日本向けの輸出専用品ということらしい。 真偽は確かめたことはないので、 そういう話もあると言う程度に聞いてもらいたい。 大きいのは、だいたい、六、七杯分の紅茶が出せるが、 小さいのは、三、四杯分ぐらいで、一人で飲むのならこちらが適当である。

ティーカップだが、 紅茶用の口の広いやつの方が、 紅茶の香りをうまく広げてくれるらしく、 やはり紅茶専用のカップはあったほうがいい。 実際、マグカップで紅茶を飲んでみたことがあるが、 あまりおいしくなかった。 しかし、紅茶用のカップで飲んだら、同じお茶なのに味が違って感じられた。 気のせいであっても、 味覚自体気のせいとも言えないこともないので、 それなりの器は用意したほうがいいようだ。

これも、ポットと一緒に、 ピオニーと呼ばれるウエッジウッドのティーカップを買って使っている。 ただ、結構値段は高い。 安くても一客 5000 円はする。 ポットの値段は理解できても、 このティーカップの高さだけはどうしても理解できない。

とは言っても、 形が手にぴったりくるように作られているので、 高いだけのことはある。 しかし、くどいが、 高いだけのことはあっても、やっぱり、高いものは高い。

このピオニーも一人暮しのときには、 家の者から 『便器のような』 という形容を受けるほど茶しぶで汚れていた。 関係ないが、 食器にそういう形容を使う家の者の感覚は私には理解できない。 だいたい、便器だって清掃したら真っ白なのだから、 これを聞いたら、 たとえられた便器の方が異議を申し立てるに違いない。

その『便器のような』野いちごのピオニーだが、 一番手近にあったのが、このピオニーだったせいで、 水を飲む時、薬を飲む時、ちょっとジュースを飲む時などに動員され、 洗う間もなかったのである。

茶しぶで真っ黒になっても、漂白すればある程度は汚れはとれる。 ただ、飲み残しの紅茶のせいで、 カップの底に同心円状の茶しぶの模様が出来てしまうことがあり、 これは簡単にはとれない。 クレンザーで洗う訳にもいかず、困惑するが、 これは原液の液体漂白剤を染み込ませたキッチンタオルで拭けばとれる。 当然のことだが、漂白剤を扱う時には、手袋はしよう。

なお、私は縦横無尽に金の張ってあるものの手入れ方法は知らない。 いくら金だって、 強烈な漂白剤をつけたらただでは済まないのではないかと思う。 上記の方法は、 単純に柄がプリントされている様なものに対する手入れ法である。

ポットの注ぎ口にも茶しぶはたまりやすいが、 これも綿棒に漂白剤を染み込ませてこすれば意外に簡単にとれる。

手入れの話で思い出したが、 喫茶店で出してくるカップの縁の金が、 ある箇所だけ剥げている場合がある。 口をつける箇所である。 人が口をつけるから、そこは汚れやすく、 当然、 洗う時にそこを局所的にごしごしごしごしとこすって洗うから、 そこだけ金が剥げてしまうのである。

いくら、清潔なカップだと分かっていても、 見知らぬ人物の口の跡に自分の口をつけるようで、 なんか気持悪い。 その剥げている所をよけるようにして飲むしかなく、 なんか不自由だ。 こういうこともあるので、 カップは優しく洗って欲しい。

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