京都ディスコナイト
 
これもまた、今から約10年くらい前のはなし。
当時はバブル絶頂期で大学生のわたしは、お金はないがバブルといっしょにうかれてたような時代だった。
しかし大学生でもお金のある奴は持っていて、
どうやって買ったんだかわかんないけれど(たぶん親に買ってもらったんじゃないかな?)
当時のバブルカーのシーマになんか乗っている奴もいたな。
 
僕たち学生の間ではディスコに行くのがステータスで、ご多分に漏れず僕たちもアルバイトでチビチビためたお金をはたいて無理をして通っていた。
 
京都の河原町三条のケンタッキーフライドチキンの横の薄暗い階段を降りたところに、当時最も有名な場所MAHARAJAがあった。
当時は全国区的に有名だったのじゃないかな?
マハラジャへ行ったというだけで「おー!」と憧れの目で見られていたな。
一番最初に行ったときは、一張羅のスーツに身を固め、どきどきしながら入り口の階段を降りていったものである。
なんか服装チェックがあるとか、女性同伴でないといれてくれないとか、いううわさが、まことしやかに流れていたので、せっかくきたのに入り口で断られたらどうしよう。なんて思っていたものである。
 
いま考えるとホントに殿様商売だな・・・。
つぶれて当然か?
 
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
おごれるものはひさしからず
 
あれだけ流行っていて、お客さんでパンパンだったフロアーも、
今は誰もいないだろう・・・。
あの頃は永久にこれが続くと思っていたのだが。
 
当時のディスコでの音楽は、もうこれしかないッ!て感じで、ユーロビートばかりガンガン流れていたな・。
ハウスミュージックやブラコンがでる前だった。
 
「トウゲザー・フォエバー」リック・アストリー
「トーイ・ボーイ」シニータ
「ショー・ミー」カバー・ガールズ
「アイ・ハード・ルーマー」バナララマ
とか、いろいろあった・・・。
 
そしてなんていっても最後に一番盛り上がるのは、
「フィーリン・フィーリン〜ソウ〜タイムアアウンドトウカウントウテ〜〜ン!
ベコウズ・ロンリーロンリー・リーリー・ラブトウ・・・」(あってるンかいな?)
そう、デッド・オア・アライヴの
「タイム・アラウンド・カウント・トウ・テン」
デッド・オア・アライヴ・・・知っているかな?
なんかグループでヴォーカルのなんとかいう人が有名で、おかまみたいな(今でいうヴィジュアル系のはしり?)ファッションだった・・・。
夜のヒットスタジオにも出ていたような気がする。
 
そして夜の12時過ぎに店がはねたあとは、耳鳴りががんがんするなか、暑いほてったからだで、
京都の鴨川沿いを歩いた・・。
 
今ではディスコブームは去ってしまったような気がするが、なにか別のもので盛り上がっているのだろうか?
 
 
夏草や
 
つはものどもが 
 
夢のあと