バイトザンマイ


このホームページを見てくれている人は、年代も色々な人がいると思うが、今回は、わたしが学生時代にしたアルバイトのことについていろいろ語ろうと思う。
これから、アルバイトをしようとする人や、もう、働いているにも聞いてもらいたい。
 
まずはじめにファミリーステーキレストラン「フォルクス」で、皿洗いのアルバイトをした。たしか時給は、530円くらいだったとおもう。ここのバイトは、夜の9時から夜中の3時頃までだったので、非常にねむたかった。
ただ、晩メシ付きだったので一人暮らしの身には重宝した。
それも、だいたい、賞味期限ぎりぎりのステーキをボリュームたっぷりに毎日食べさせてくれた。
しかし、そこの主任の「星山」(今でも名前は覚えている)という男の主任とウマがあわず。皿洗いのことについて激しく口論となり、ブチきれてやめてしまった。
 
3ヶ月ほど続いた。
 
 
それから、すこしの間アルバイトを探す気もなく、家でボーっとしていたが、さすがに親の仕送りだけでは厳しくなったので、またアルバイトを探すことにした。次に見つけたのは、「ほかほか弁当」の仕事だった。時給は確か500円くらいだったかな。ここも夕方5時から夜の12時ごろまでだったと思う。ここは入って3日目くらいで、ちょっと事務所まで来てくれといわれて、いいにくいんやけれども辞めてくれみたいなことをいわれた。今日までの3日分の手当ては出す。(あたりまえやろ)なんてことを言われて、むかむかする気分のなかで、家に帰ったことを覚えている。
 
 
次は、警備の会社にガードマンとしてのアルバイトを友人の紹介で見つけた。
ここは、夕方の5時と夜の10時と深夜の2時の3回契約しているお寺の警備に行くというものであった。深夜2時の巡回はサボってもよいということだったので、楽勝かなとおもって、さっそうと初日の巡回にいったのだが、夜のまっ暗なお寺はこわ〜い!こわ〜い!!こわ〜い!!!
鼻をつままれてもわからないようなくらい暗い真っ暗のなかで、お寺のお墓のまわりと、社務所の中を、懐中電灯一本で回るのである。
社務所の中でいきなり袈裟を着たお坊さんが暗闇の中から突然ぬーっと出てくるわ、お墓の周りを巡回していると、ランニングをしているおっさんはいるわ・・・。うわ〜!いやだあ〜!もう驚かされてばっかりであった。
 
このバイトも3日でやめた。
 
 
喫茶店でもバイトした。京都の宝ヶ池にある「フロー○ング・ハ○ス」
ていう、カジキマグロをあげた、海の家ッぽいおしゃれな店だった。
しかし、内情は大違い。
時給450円というとんでもない条件で働かされ、昼の忙しい時間はフラフラになるまでホールの中を走りまわされた。
ここの食事はピラフ一皿だけ(まずい)だし、サービス残業は当たりまえだし、社長はちょっとあぶなっぽいひどだし、同年代の従業員(バイト)ともウマがあわなかったし・・・。
 
3ヶ月でやめた。
 
 
ビルの電気設備の保守管理をしている会社のアルバイトもした。
ここは結構楽だった。朝9時半から夕方の6時までだった。
屋上の事務室で待機していてビルに入っているテナントより電話が入ったらそこの注文に応じるというものであった。たいていは、天井の電球がきれたとか、暑いので空調をきつくしてくれとか、そういう電話が入ってくるので、電球を替えにいったり、空調を調整したりするだけだった。
1日何件もあるわけではなく1日中なにもしないでぼーっとしていることもあったな。机の前に座りまんがばかり読んでいた。
 
月曜日 少年ジャンプ
火曜日 ヤングマガジン
水曜日 少年マガジン
木曜日 週刊モーニング
金曜日 週刊漫画

 
ここは、本当にいごこちがよくて2年ほど勤めた。
ただ、イヤだったのは社長の経営する別の会社のほうへたまに応援にまわされることだった。それは、国鉄(今のJR)の下請けのそのまた下請けの、線路の保守点検をする作業だった。

京都駅から米原までの東海道線
マキノから大津までの湖西線
あと草津線もあったな・・。

現場主任のおっさんとペアを組んで、ひたすら、線路を歩いて、線路の上の「ガイシ」というものを点検して回っていたんでいたら替えるのである。ホント坂本九じゃあるまいし、ひたすら上を向いて歩いていたな。
暑い、暑い真夏の日に1日歩いて倒れそうになったこともある。
それと、もう一つ怖かったのはトンネルの中での作業。
真っ暗なトンネルのなかを、脚立をもって歩くんだ。
ひたひた、ひたひた、ひたすら歩くんだ。
電車がきたら、もっている笛をピーっと吹いて20メートル間隔に設置してある待機溝のようなところに飛び込むんだ。
もしそこまでたどり着けなければその場で寝れば電車の隙間に入ったら轢かれないなんていわれて。
おいおい大丈夫かよ。おれに笛なんか吹かせて、って思っていた。実際は電車がきたときは、ものすごい風圧がありすぐにわかる。
電車が目の前をものすごい勢いで通り過ぎていったときは本当の意味でさぶくなった。
それで日当7000円。
 
学生時代の最後は友人の紹介で京都の祇園にあるクラブで働いた。
夜の7時半から深夜1時〜2時の客がはけるまで。
当時としては破格の時給1000円であった。
 

この話つづく・・・