自分に向きあえば
 
コンプレックスという言葉について。
 
みなさんはどんな、コンプレックスがありますか?
コンプレックスのない人間なんていませんよね?わたしのコンプレックスは近眼で、非常に度の強い眼鏡をかけているということです。
まあ目が見えない人よりもいいかなっておもったことがあり、それで自分自身納得してきた部分もありましたが。
はて、
そう思うことは見えない人に対して非常に失礼ではないかと思いました。
そこで思ったことを書いてみたいと思います。
 
 
相田みつをさんの書に
 
そのままで
いいがな
 
というのがあります。本来は子供のことについて書いたものであるということをNHKで解説していましたが、おとなのことについても当てはまると思います。
 
そのままで、いいんです。
自分は自分であって、他人にどうおもわれようが、なにものにもかえがたい自分がそこにいます。
派手な服で着飾ったり、知識を振りかざしたりしていないでおだやかに自分のことを見つめてみましょう。
短所も欠点も、自分ではどうしようもないこともすべてとりこんでみましょう。
それが自分なんです。
 
そういったものを自分の一部として取りこんで、すべてありのままの自分と向きあうことが大事なんではないでしょうか?
 
 
そういうことを言っているようにおもいませんか?
 
 
最近「五体不満足」という本で有名になった乙武さんという人がいますよね。みなさんもよくご存知だと思います。
その乙武さんが取材のときにある記者にこう尋ねられたそうです。
「もし、あなたに手足があったらどう思いますか?」
すると乙武さんはこう答えたそうです。
 
「重くてかなわん」
 
 
彼をみていると本当にまぶしいくらい輝いているようにおもいます。
テレビなどで拝見していてもこちら側に彼の情熱のようなものがひしひしと伝わってくるのが感じられます。
そういった人たちはもう少し卑屈になるものじゃないかなどと思っていた自分がはずかしくなりました。
 
わたしの日常はどんなに暗くさびしいものだったのだろう。
それにくらべて彼の日常はどんなに明るく輝いているものなのだろう。
 
 
 
他人と比べてあの人よりマシ、自分は給料が少ないがだれだれさんよりは多い。
自分は背が低いが、だれだれさんよりは高いとか、自分は歩くのが遅いが歩けない人よりはマシ。そう思うのは、その比べた対象の人に対して本当に失礼なことであると思いませんか?そしてそれは自分と真正面に向き合おうとせず自分のコンプレックスから逃げている卑怯な行為だと思うようになりました。
 
 
人間なんて気の持ち方一つで変わるよ。
下を見て生きていくのはやめようよ。
坂本九の歌のように上を向いて歩こうよ。
 
わたしもそう感じてからは、しっかり前を見て、他人に臆することなく眼鏡をかけている自分とまっすぐ向きあって生きていこうと思いました。