愛しの馬鹿野郎
深司と二人でその辺を歩いていたら、千石に出会ってしまった。
何をしているんだと聞けば、そいつは、茶色い頭でにへらと笑い、
「シンジくんに会えると思って。俺ってラッキー♪」
などとぬかして。
そして、あっという間に、微かに嬉しそうな眼をした深司を、
俺の隣から連れ去ってしまった。
惨めにも、完全なるおいてけぼり。
だから俺は今、暇を持て余している。
公園のベンチの上。
辺りには誰もいないから、大胆にも横になってみる。
良い加減で日陰を作っている木々の枝には、
夏を前にした青い若葉が茂っていた。
橘さんが見たら怒りそうだな、なんて事を考えながら、
少し涼し気な風に吹かれて、俺は眼を閉じた。
こういう時に、会いたくなるんだ―――
幸運男に肩を抱かれた深司を思い出して、羨ましさを覚える。
あんまり淋しいもんだから、
いつもは呼ぶと怒られるその名前を、小さく呼んでみた。
「ケイたーん・・・。」
「何だよ、アキラちゃん。」
突然降ってきた声に驚いて、俺は飛び起きた―――。
そいつは、誰もいない公園で、ベンチに可愛く寝転がっていた。
探していた訳じゃない、と言えば嘘になる。
かなり暇だったし、それにさっき、いやに仲の良さそうな、
不動峰の伊武と山吹の千石のツーショットを見つけてしまった。
こういう時に、会いたくなる―――
もしかしたらその辺にいるような気がして、
適当に見回してみれば、案の定。
気付かれないように近寄って、その無防備すぎる顔を覗き込んだ。
口をへの字に曲げ、少し眉をしかめている。
まるっきり、ガキの拗ね顔だ。
おおかた、伊武と一緒に散歩でもしていたところを、
千石に攫われていってしまったのだろう。
目覚めのキスでもしてやろうかと思っていたら、
「ケイたーん・・・。」
と、そいつは突然、いやに甘えた声で俺の名を呼んだ。
そんなあだ名で呼ぶなと、いつもいつも言っているのに。
「何だよ、アキラちゃん。」
気が付けば俺は、そんな返事を返していた―――。
「うわっ、びっくりしたぁ・・・。何でこんなトコいるんだよ・・・。」
「さあな。それよりお前、こんな所で寝てると風邪引くぞ。」
そう言って、ケイたん、いや跡部は、
俺の額を人差し指で軽く突いた。
その顔は、優しい笑みを浮かべている。
他の誰にも見せない、この、瞬間の笑顔。
俺だけに許された特権。
俺は、この笑顔が好きだ―――
跡部は、どういう風の吹き回しか、
ご丁寧にも腰をかがめ、俺に目線を合わせてくれた。
そろそろ慣れるべきなのだろうが、
やっぱり近くから見つめられると、少し照れる。
頬が紅くなって来たのに気付いて、俺は少し俯いた。
そしたら―――。
「うわっ、びっくりしたぁ・・・。何でこんなトコいるんだよ・・・。」
と、俺のアキラちゃんこと神尾は、
大きな眼を更に見開いて驚いて見せた。
風邪でも引いてくれたら、それこそ楽しみ放題なんだが、
そんな事は言えるはずがない。
とりあえず、拗ね顔が笑ったので良しとしようか。
俺を見つめる、真っ直ぐな笑顔。
可愛いなんて思ってしまい、俺の頬まで緩んでしまう。正直、
俺は、この笑顔が好きだ―――
初夏の心地良い緑の風に、俺の気分も良くなったから、
少し屈んで視線を合わせてやる。
丸い瞳を見つめてみれば、それはすぐに戸惑いを浮かべ、
申し訳程度に焦点をずらす。
さらりとした頬にも、薄く紅が差さっている。
いつも思うが、こいつはいちいち照れすぎだ。
何がそんなに恥ずかしいのか知らないが、
ロクに眼も合わせられないんじゃ、やりたい事の半分も出来やしない。
でも、まあ、・・・飽きるものでもなし。
少しだけ間を置いて、
その隙だらけの紅い頬に
―――軽く、唇を落とした。
「・・・っ!」
その突然の感触に、
俺は上半身を跳ね起こした。
「うぁ・・・っ、な、何・・・」
言葉に詰まっている俺はお構いなしに、
俺が飛び起きたお陰で体勢を崩した跡部は、
舌打ちして文句を言う。
「・・・ったく、起きんなよな・・・」
「んっだよ!急にそんなことされたら、びっくりするだろっ!」
胸はまだ高鳴りして、多分顔は思い切り紅い。
跡部はいつも強引だ。
だから、気が付けば流されてしまう。
幸い、まだ、キスだけだけど。
「急じゃねぇだろ。別に」
内心は、とても楽しい。
可哀相だが、この仏頂面は嘘になる。
何回されてると思ってるんだろうか。
この程度で、この初々しさで。
面白い。否、ヤバいくらい―――可愛い。
「お前が、して欲しそうな顔してたから」
だから、少し苛めてみたくなる。
別にサドって訳でもねぇけど。
次の瞬間、予想通り、
神尾の顔は真っ赤になっていた。
ある意味瞬間湯沸し人間だよな、なんて。
「だ・・・誰がそんな顔するかよっ!」
俺はそう怒鳴って、
勢いよく跡部の方に座りなおした。
不機嫌な顔の裏には、
きっと意地の悪い笑顔があるに違いない。
バレバレだっての。
ムカつく。
俺は、跡部を睨みつけた。
その視線は、脅しのつもりなのだろうか。
まったく、やることなすこと全部が―――。
とりあえず、俺に反抗するとは、いただけないな。
お仕置をしなきゃならない。
そう自分の中で呟いて、
俺は、神尾の不機嫌な唇にキスをした。
その身体は一瞬強張ったが、
弱いところなど、とっくに知れている。
強引に唇を割って入り、貪るように舌を絡めて、
息の切れる程度まで弄んでやれば―――。
いつも、いつも、いつも。
跡部に、いいように弄ばれて、
殴りたくなるくらい悔しいはずなのに―――。
「・・・っ、ぁ・・・」
強烈なキスに思考を奪われているうちに、
俺の口からはそんな声が漏れていた。
自分の声だからこそなのか、
余計に顔が火照る。
脳内酸素濃度も薄くなって、だんだん意識が蕩けていく。
長すぎるキスから解放されると、
銀の糸を引く濡れた唇に、また甘く背筋が疼く。
その感覚に惚けていると、
跡部がもう一度口づけを降らす。
今度は―――浅く、ゆっくり、それから深く。
本当に舌から溶けてんじゃないかと思う程、
熱い交わりに浮かされる。
・・・完全にハメられた。ちくしょう。
二度目のキスを終えると、
神尾はすっかり大人しくなっていた。
もちろんそれは、俺のウデの賜物だが。
乱れた呼吸を整える、紅く濡れた唇。
その間から漏れる吐息。欲情的な涙目。
それから、
「―――あ・・・とべ・・・」
俺の名前を呼ぶ、この声。
何度か見た、とは思ったが、
今日は特に―――。
俺もそろそろヤバイかも知れない。
だから、あと一回口づけたら、
今日こそは「お持ち帰り」させてもらう。
余裕の無いのが自分で笑えてくるけど、
誘ったのは、お前だからな。
覚悟しとけ。
三度目の唇が触れ合う前に―――。
「跡部―――、愛してる」
そんな言葉がふいに出て、
自分でも驚いたけど。
それより、跡部が少し紅くなってたから。
―――ざまぁみろ。はは。
強く引き寄せられて重ねた唇に、
もう少し身を委ねたら―――
「お前ん家、行きたい」
とか―――言ってみようかな。
今日は俺、絶対どうかしてるよな。
でも、ちょっと本気だから。
覚悟しとけよ。
その前に、もう少し、
この瞬間を二人で―――
「・・・うわーっ、すっごいの見ちゃったなぁ・・・。
ラッキー・・・なのか?コレって」
「さぁ・・・。でも、濃いなぁ・・・」
睦まじい二人を不躾にもデバガメしていたのは、
冒頭に登場した、千石と伊武であった。
しかし、覗いていたとはいっても、
場所が場所である。
「公共の公園」でいちゃつかれては、
いやがおうにも見えてしまう場合があるのだ。
その辺のところを、どうも跡部と神尾は忘れているらしく。
幸い見学者は2人だけであるが。
まあ、それが「幸い」かどうかは置いておくとして。
「あっ、離れた。・・・見つめ合ってるし。
アレ・・・跡部じゃないよ・・・。何あの顔・・・」
「・・・緩んでるよね。大分」
低めの植木の陰に隠れ、ぼそぼそと話している2人も、
傍から見ればきっと、充分に怪しいに違いない。
しかし、男達はそんな事は気にも留めず、
これから起ころうとする大スクープに視線を注いでいた。
「ん・・・なんか喋ってんなぁ。何だろ。
・・・っておいっ、跡部赤面!?あ・・・ありえない・・・」
「―――お持ち帰り・・・」
「えっ?シンジ、何言って・・・お持ち帰り?」
「・・・だって、ほら」
伊武に促されて、千石がベンチに視線を戻せば、
丁度2人が立ち上がり、こちら側に背を向けて、
歩き出すところであった。
少し速い歩調の跡部に、駆け寄るように神尾が近付き、
目撃者のいる前で、その手と手は―――
照れるように、固く繋がれた。
千石も、伊武も、言葉を飲んでその光景を見ていた。
見ているこっちが照れてしまう程の、それを。
果たしてこれは、ラッキーなのか―――
「―――シンジ、あのさ」
「・・・何?」
「俺も、お持ち帰りしたくなっちゃった」
驚きの瞳で、パッと千石の方を向く伊武。
罪のない笑顔を向ける千石。
次の瞬間、果たして―――、
伊武の頬が紅く染まるか、
千石の頬に紅く手形がつくか―――。
―――これはまた、別の話。