JOKER
「かわむらすし」での地区予選大会の打ち上げも、
そろそろお開きに近い頃。
メンバーは、皆なんとなく帰ってしまい、
今、河村隆の部屋に残っている、本人以外の存在は
不二周介ただ一人。
桃城が勝ち逃げして帰ってしまったので、
河村と不二は、ババ抜きにおける「決勝戦」をしている最中だ。
カードは、不二に1枚、河村に2枚。
不二が河村の『ジョーカー』をかわす事が出来れば、
この勝負、不二の勝ちとなる。
さながら心理戦―――――右か、左か。
「―――。そうだ、タカさん」
しばらくカードを見比べていた不二が、ふと口を開いた。
「ん、なに?」
「あ・・・のさ、今日、腕・・・ごめんね・・・」
申し訳なさそうに、河村を見やる不二。
少しかしげられた首と、独特の柔らかな糸目は、
女子の言うところの『スイートフェイス』。
彼の人気の一端を担う、一種の"才能"である。
この不二周介に至近距離で微笑まれ、
目眩を感じない女子は、まずいないであろう。
「あ・・・全然大丈夫っ!ヒビも入ってないし。
それに・・・不二は悪くないよ」
今日の地区予選決勝で
不二とダブルスを組んでいた河村は、
不動峰中の石田選手の豪球『波動球』を打ち返し、
己の右腕を、軽いながらも損傷していたのだった。
「でも本当・・・軽くてよかったよ・・・」
言いながら、不二は左手で、
カードを持たない河村のカッターシャツの右手に手を伸ばす。
傷ついたそれを、そっと撫でるようにして
優しく指を這わす。
穏やかな動作と、慈しむような微笑みに、
河村は、頬が少し朱を帯びるのを感じる。
「う・・・うん・・・。でも、あれを・・・不二が受けてたら、
・・・ヒビぐらいじゃ、済まなかったかもしれないし」
そう言って笑んでみるが、
軽い動揺のせいか、少し言葉が詰まってしまう。
なにしろ―――――
こんな風に二人きりになれるのは、
久しぶりであったから。
彼らの間には、特別な、通じ合う"想い"があった。
例え世間には通用しなくとも、
部でも半公認(というより、暗黙の了解)状態であったので、
二人は、あまり気負いすることなく、
時に愛を語らいあっていた。
身体を重ねたことは無いが、唇ならば数度はあった。
『清く正しい お付き合い』
まぁ、そういったものである。
「・・・それに、フジコちゃんを守るのは俺の役目」
少しはにかみながら、河村は言った。
慣れない口説き文句に、言った本人の方が恥らう。
その時、
不二の身体が一瞬こわばった。
「・・・不二?」
自分の腕を見つめる不二の様子が
少し不自然に思えて、河村は名前を呼んでみた。
が、不二は答えない。
河村がもう一度問い掛けようとした時―――――
「―――タカさんは・・・無茶しすぎだよ・・・・・」
うつむいて、彼は小さくつぶやいた。
突然落ちた声色に、河村は少し焦った。
少しうつむいただけでも、長い前髪に隠されてしまい、
不二の表情は読めなくなる。
「・・・不・・・・・」
「・・・タカさんは―――」
「タカさんは・・・、いつも・・・そうやって無茶して・・・、
それで・・・俺を・・・・・」
胸を締め付けられるような声に、
河村隆は言葉を飲む。
その時―――。
シャツに染みた、冷たい感覚。
それは、一粒、また一粒と、
まばらなリズムで、河村の腕に落ちる。
塩気を含んだ、感情の雫。
「・・・守ってくれなくても・・・いいから・・・・・、
だから・・・俺のためなんか、そんなことで・・・―――
―――――・・・傷つかないで・・・・・・」
不甲斐ない自分への後悔。
突き刺さるような願い。
その一言に、何も言えなくなる―――
だけど
「無茶ならするよ」
驚いたように顔を上げた不二と目が合う。
濡れた瞳と、紅く染まった目元。
こんな顔をさせてしまった事に、少し胸が痛む。
しかし、未だはらはらと零れる涙を指で拭い、
河村は、不二に微笑む。
その意味が判らない、と言う風に、少し不二の表情が変わる。
その目を見つめたまま
「確かに・・・俺はラケットを持つと、
人格が変わって・・・ちょっと無理するけど・・・、
その時も、今も、・・・不二が大切だから―――
俺の前で・・・、傷つけたりさせない」
「―――・・・」
「・・・不二が弱いから守るんじゃない。ただ・・・、
誰かに不二が傷つけられるのは・・・嫌なんだ」
だから―――
―――フジコちゃんは、俺が守る。
不二は、河村の胸に顔を埋めた。
もう、泣いてはいない。
その少し乱れた髪を、河村の右手が優しく梳く。
互いの体温が混ざり合うような。
「――・・・ありがとう、タカさん・・・」
ようやく聞こえる程の声で、不二がつぶやく。
顔を上げ、もう一度視線を合わせる。
河村が、不二の髪から頬まで、その手を滑らせる。
そして、笑んで
不二のまぶたに唇を落とす。
もう、あんな涙を流させないように―――
それから、少し朱を含んだ頬に。
微笑みが絶えることのないように―――
そして、柔らかな唇に。
偽りなき心を伝え合うために―――
甘い甘い感覚を、しばらく二人で味わう。
『幸せ』だけでは足りない、言い尽くせない想い。
二人で感じる。
二人で分かち合う。
この上なき、温もり。
「・・・タカさん」
唇が離れてすぐ、不二が呼んだ。
いつもの、ふわりとした糸目の微笑み。
穏やかな河村の視界に、2枚のカードが映った。
―――不二の手に、ハートとスペードのエース。
「俺の勝ち。だね」
・・・そういえば、試合中だった。
その完全な笑顔に、河村はうなだれた頭が上げられない。
なぜ、どうしてと、そんな問いさえする気も失せる。
目眩がした。
上目づかいで見れば、罪もなく微笑み返す不二がいる。
手元に残ったジョーカーに、その笑顔が重なって。
まさにその通りだと思って。
それでも愛しいと思う自分に。
河村隆は、溜め息をついた。