「・・・ねぇナミさん、ウソップさん、Mr.ブシドーが・・・」
「あぁ、またアレだろ、アレ。・・・なぁナミ」
「そうね・・・ったく、よくやるわ。あの様子から見て・・・3日目ってところかしら・・・?」


ひそひそと海に向かって話す、ナミ、ビビ、ウソップの後ろを、
つかつかとゾロが通り過ぎる。

眉根をひそめ、腕を組み、口はへの字に曲げている。
甲板に途切れない足音も、心地良くは響かない。
―――十中八九、たぶんきっと、とてつもなく機嫌が悪い。

(3日目じゃねぇ・・・4日目だっっ・・・・!!!)

誰にも届かない心の声も、口に出せば雄叫びに近いに違いない。


「あの・・・『アレ』って・・・?」
「そうか・・・ビビお前、あからさまなのは初めてか・・・」
「なんてことないわよ。でも・・・あんまり関わらない方がいいわ。こっちの神経が持たないから」
「それで・・・だから『アレ』って・・・・・」

「・・・お前にゃ馴染みの薄いことだけどな、覚えといたほうがいい」
「そうね。これから何度もあると思うから・・・。
 ゾロにとって、たぶん、精神的に一番辛いこと―――――



―――――――禁欲



それは、4日前の朝のことだった。

メニューは大体いつもの品数、馴染みの物だったのに、
朝食が約15分遅れた。

ルフィが少々うるさかっただけで、クルー達はさして気に留めなかったが、
肩書きが『コック』であるサンジにとって、
それは自らの異変を示すのに、充分過ぎる証拠だった。


朝からどうも調子が悪い――――というより、腰が痛い。


本当のところ、腰が痛いどころではなく、立っているのも至極辛い。
スープの入った大ナベを持って歩くなど、もってのほか。
色々叱りつけたりして、レディ以外のおかわりはなんとか各自でさせた。


―――原因ぐらい把握している。俺だってガキじゃねぇ。
そんなもん・・・、昨日の夜のせいに決まってんだろ。


何にサカったのかは知らねぇが、昨日のゾロはテンションが高かった。
見張りの役目を放り出し、船の後部で星を見ていた俺に
シーツと酒を持ってきたのは、確かあいつの方だった・・・かな。
いや、酒は元からあったか?・・・参った、よく覚えてねぇ。

気温もまぁまぁ、星も綺麗。
酒が入って隣に恋人・・・なんて、ロマンティックどころじゃねぇだろ。

あいにく、ただ純情に寄り添って愛を語らう―――なんてことが出来るほど
俺らは大人じゃないもんで・・・・・。

多少気の緩みがあったのは、俺の過失かもしんねぇ。
でも・・・ちょっと油断しすぎたみたいだ。

口移しの酒にとっとと酔わされて、
いつもより強引なゾロに不覚にも甘えたりして・・・。
どこで覚えてきたのか、軽く縛ったり目隠ししたりしてきても
・・・・・・止まれるもんじゃねぇんだよ、普通。(俺だけか?)


結局そのままムードに押されて、6回目からは記憶がねぇ。

起きたら服も替えてあって、風呂にも入れてくれたみたいだった。
ソファに寝かせてくれたのは嬉しいが・・・・・立たねぇんだよ、足が。

快楽の代償?クソくらえ。痛ェ思いすんのはいっつも俺だ。
(あんにゃろ、いっぺん『攻め』てやろうか・・・いや、やめ。とんでもねぇ)

おかげで朝飯作るのに時間はとるし――――ふざけんな、エロ剣豪。



さりげなく用事を頼んだりして、
サンジはゾロだけをキッチンに残させた。

沈黙。
早めに話をしておかないと、今にもこの男は寝てしまいそうだ。

「・・・おいゾロ」
「んぁ?」
「禁欲令だ。・・・てめぇとはしばらくヤらねぇ」
「・・・・・・・っ!!?」

ガタンッ、と音を立てて、ゾロが跳ねるように立ち上がった。

うろたえの表情は想像出来たので、紺碧の眼は伏せたままで。
第一今のサンジには、相手の顔を見て話すほどの元気もない。

「なっ・・・、なんで・・・・・」
「なんでもクソもあるか。とにかく禁欲だ。・・・夜這いかけたら蹴り殺す」
「昨日のせいか・・・?」
「あーそうだ。あのせいでロクに動けねぇ。だからだ」

また沈黙。
この内容の会話は過去に何度もしたので、サンジは次のゾロの行動が予測できた。

――――たぶん、逆ギレ。

「・・・ちょっと待て!てめぇもえらくヨさそうにしてたじゃねぇかよっ!!」

――――ビンゴ。

「まぁ・・・甘えた俺も悪いとは思う。だがな・・・限度がある」
「あァ!!?ざっけんなよ!?この淫乱クソコック!!!
 てめぇみたいなのにヨガられて、ソソられねぇ野郎がどこにいるってんだ!
 ンな偉そうなことは、その色気と女顔直してから言いやがれっ!!!」
「はぁっ!?ワケわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!クソ緑!!」

人差し指さされて怒鳴られ、
今度は船内一、二を争う導火線の短さを誇るサンジがキレて思わず立ち上がる。

大声が、腰に響く。が、本人の頭から、そんなことは抜けている。

「誰のドコが女顔で、どっから色気が出てるっつーんだよっ!!!」
「てめぇのことに決まってんだろっ!!
 ったく!色ばっか白くて、口だけ妙に紅くてよぉ!?
 んで、上目づかいで『ゾロ・・・』とか!ふっざけんなっ!!
 何でンなに細いんだよっ!何でンな頭サラサラなんだよ!
 カッコつけてその服着てんのかもしんねぇけどなぁっ、
 うなじ目立って仕方ねぇんだよっ!!なんとかしやがれっ!!!」
「・・・・・っ!バっ、てめっ・・・・・」

とてつもなく恥ずかしい内容の長ゼリフを大声で言われ、
サンジが頬を紅くして言葉に詰まったとき、
ようやく腰の痛みの感覚が戻ってきたようだ。
彼は少し顔をしかめ、ペタンと椅子に腰をおろした。

血圧の上がっていたゾロも、少し落ち着いてきたのか、
さっき自分が叫んだ言葉を思い出し、
今更後悔の顔をして、気まずそうに頭などかいている。


感情に任せて、言葉足らずに一気にぶちまけられてしまったが、
先ほどのセリフを要約すると、こうなる。


信じられないほど白い肌と、紅い唇のコントラストが
何とも言えない色気をかもし出している。
薄く潤んだ碧眼の上目づかいで『ゾロ・・・』などと言われると、
もう、どうしようもなくなってしまうんだ。
細く締まった、無駄がなく美しいボディライン、
整えられ、毛先まで手触りの良い金糸の髪はとても魅力的で、
スーツ姿の時も、その黒が肌の白さと金髪を目立たせて、
うなじに色気を感じてしまう。

もう、どうにかなってしまいそうだ――――――


成程、これではただのバカップルだ。


「と・・・とりあえず、禁欲だからなっ!」
「っ・・・!やっぱ・・・やんのか・・・」
「当然だ、バカ」
「けっ、望むところだ・・・ちくしょう・・・・・」

捨てゼリフを吐き、乱暴にドアを開けて、ゾロはキッチンを後にした。

多少気の毒だとは思うが、
たまにはこれ位言わないと、割に合わないだろ・・・?

痛い腰をさすりながら、サンジはそう心の中でつぶやき、
その苛立った背中を見送った。



そんな事があってから、はや4日。

臨界点は、もうとっくに超えている。
そこをなんとか気力で保っているのだから、今回はかなり我慢しているようだ。

今日を越えれば5日目。新記録樹立である。
せめて、その位はなんとか――――



その夜、ゾロは甲板で素振りをしていた。

いつもならば、とっとと寝てしまうのだが、
やはり堪えるものがあり、なかなか寝付けずにいたのだ。

今夜も星が綺麗だった。
頭上に輝く、果てしない星空を眺めていると、
ゾロの心に、自然とあの笑顔が浮かぶ。

―――クソ女顔エロコック。

イヤになる程美化されている気がする記憶に、幾度も心をかき乱される。
それを振り払おうとして、素振りの回数だけが増えてゆく。



ようやく落着いてきたと思った、その時。

「お、ゾロ」

その声に唐突に名を呼ばれ、ゾロの背が跳ねる。
足音すら耳に入っていなかったとは・・・不覚。

振り向くと、久々に見た気さえする顔があった。

煙草でも吸いに来たのだろうか。
毎日見ていたはずなのだが、ロクに話もせず、その上かなり警戒されていたので、
その無防備な表情が、ひどく懐かしく思えた。

「あ・・・サン・・・」

反射的に呼んだ声に、サンジは少し身構える。

「襲う気なら帰るぜ・・・」
そう言って、彼はもと来た道を帰ろうとする。

「ちょ・・・おい・・・っ」

気が付くとゾロは、刀を鞘に戻して、
サンジの元まで駆け寄り、その腕をつかんでいた。

「てめ・・・っ、ちょ・・・マジでか・・・っ?」
「あ・・・いや・・・」

反射としか言い様のない行動に、どう弁解してよいのやら。
もとより口の立つほうではないゾロは、ただうろたえるばかり。

「痛てぇ・・・とりあえず離せ」

サンジのその言葉に意識を引き戻され、
少々強く掴んでいた手を、あわてて離す。


沈黙の闇の中に、ふぅ、とサンジの溜め息がした。

「お前、ほんっと、バカ」

割合明るい月明かりのお陰で、
お互いの顔は、この程度の距離であれば、よく確認出来る。

困惑混じりの、情けないゾロの顔。
あきれ半分の、いつものサンジの顔。

「・・・謝りゃいいのに、すぐキレやがって・・・ったく。
 てめぇの我慢の限界なんざ知れてるっつーんだよ。見てるこっちが情けねぇ・・・」
「・・・あぁ・・・・・」

"反論"、"逆ギレ"などの術さえ、
今のゾロの脳裏には、全くもって浮かばない。

許されかけているのか、それともまた怒らせてしまったのか、
微妙に判断しかねてどうしようもなく、

「・・・悪かった。ごめ・・・・・」

と、珍しく素直に頭を下げてしまう。



「・・・・・わかったんなら、とっとと抱きしめろ。・・・クソ野郎」

突然耳に飛び込んだ言葉に驚いて、
ゾロは顔をあげた。

そこには、自ら甘い言葉を吐き、己の頬を薄赤くしたサンジがいた。
ゾロを直視できないのか、そっぽを向いている。

自分で禁欲令を出しておいて
そのセリフはないだろう、とは言わないでいて欲しい。
彼らにとっては、長い間、ほぼ無接触状態であったのだ。

そこいらの小娘ではないが
―――サンジだって、"寂しい"くらい思うのだ。


その顔を見た瞬間、ゾロは、懐かしいとさえ思う感情を思い出した。

―――ただ、純粋に"可愛い"と


近頃では、「寄れば色事」がお決まりになっていた。
求めてくる顔が妖艶だとか、稚拙な奉仕をする姿が可愛いだとか、
そういったことならば、しょっちゅう思っていたのだが。

心臓を指先で弾かれるような表情。
性格。
この男。

一番『好き』な、気まぐれガキコックの、こんな一面。

根底にある、最も重んずべき感情を、最近は。
初心忘れるべからず―――なんて言葉が痛い。


愛しいと思った時には、ゾロはサンジを抱きしめていた。

強く、しかし優しく。
存在を確かめ合うように。温もりを全身で感じ取るように。

勢いのあった行動に、サンジは一瞬驚いたが、
すぐ、安心しきったように、その身をゾロに委ねる。
腕を背中に回し、全身で想いを伝えるように。


「・・・ゾロ、―――『好き』だ・・・」
「あぁ。俺もだ、サンジ・・・。―――『好き』だ・・・」

抱きしめ合う互いの手の力が、少し強まる。


今、世界で、いや宇宙でも、一番幸せ者であると、二人同じことを考えていた。

何故か泣きたくなった―――




―――ンなことは、墓の中でも言わねェ。

二人、同じことを考えていた。





甘い甘い空気の中、
溶けるほど抱き合い続ける二人。

久々の、健全な夜。


となるはずがなく。

密やかな時は流れ、やがて嵐の朝が来る。



「―――このクソマリモっ!!」
「文句あんのかイロモノコック!!」

二つの凄まじい怒号で、
若干鈍い船長以外のクルー達は、各々の夢から叩き起こされた。

「な、なんだっ!?ゾロとサンジ、ケンカしてるのかっ!?」
「あ゛ー・・・、気にすることねぇよチョッパー。お子様は寝てろ・・・」
「お、お子様じゃねぇよ!」

憤るチョッパーを置き去りに、呆れ半分興味半分で甲板に出るウソップ。

「ぁふ・・・、どうしたのかしら、サンジさんとMr.ブシドー・・・」
「どーもしないわ・・・いつも通りよ」

目をこすりながら、ビビとナミが見物に来る。

甲板では、相変わらずサンジとゾロが取っ組み合っていた。
両者とも、服装は少し乱れていたが。


「お前なぁ、俺が寝てる間にナニやってくれてんだよ!!」
「あぁ!?充分優しくしてやったじゃねぇかよ!」
「そんな話はしてねぇっ!1回だけして寝たはずだろ!」
「おー、『ゆっくりってのもヤラシイな』とか、もっとヤラシイ顔して言ってたなぁ!!」
「言うなバカ!!」


「・・・朝飯まだかな・・・」
「まだまだね・・・」
「ねぇ、止めなくていいの・・・?」

つまらなそうに眺めているウソップとナミ。一応心配をしてみるビビ。
無理だろ、という返事は、二人の溜め息に流された。


「なんで俺のシャツにはボタンがねぇんだ!?」
「気がついたら飛んでたんだよ!」
「寝てる人間襲うなんて卑怯だろ!!」
「お前ちょっと起きてたじゃねぇかよ!」
「覚えてねぇよっ!!」


ぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける男達。
こんな所に跡付けやがって、とか、1回じゃ治まらねぇだろ、とか、
人前で言うべきではないセリフが山のように積み上がる。

それを脇目に、気だるく空を見上げる鼻の長い傍観者。
何とかしなくては、とオロオロする王女の肩を叩いて、
無言で、放って置きなさいと首を横に振る航海士。

「平和ね・・・」
「あぁ、そうだな・・・」
「・・・へ、平和って・・・」


全てを吸い込んでしまうような青空の下、今日も穏やかな1日が始まる。






御帰リナサイ御主人様 私ノ愛シイ動カヌ人形