浴槽における擬態





浴槽に溜まった
科学配合の乳籐色の湯が

黄色い電球に照らされて
薄桃色になっている

それは
まるで

人から流れる紅の血を
白い絵の具で薄めたような
人口花の匂いの湯




湯船から
首だけ出して
防水ラヂオのスイツチを入れる

耳慣れない
イタリヤ語が
正方形のタイルに響いて

とてもとても
煩いので

頭の先まで
仰向けに
逃げるように白濁に沈む



生温い湯に
視界を閉ざされ
白い闇に
閉じ込められる


相変わらず聴こえる
軽快な
イタリヤ語


水中での
呼吸の術を知らないので
仕方なく
顔を出す

揃えられた
髪の毛が
纏わりついてきて

気持ち悪い



ラヂオを消して
湯船を見つめ

もう一度
湯に沈む

今度はうつ伏せ



暫らく
頭を空にすると

水の音が聴こえて来る


もう暫らくすると

呼吸を忘れていたせいで
酸素を求める心臓が
ドクドクと
大きく鳴り始める

その音が
心地良くて

もっと沈んでいたくなった



だから

一度顔を上げて
息をして

躊躇いも無く

沈む



立方体の箱に閉じ込められ
ただ浮いている

その姿は

ホルマリン漬けの
標本のよう

薄桃色の湯の色が
閉鎖された脳の中で
緑色に
変わってゆく





私ハ標本
動カヌ標本
オ腹ノ中ニハ内臓ガ無イ





まるでここは
母の胎内のように
居心地が良い

生温い湯船の中

胎盤を通じて交換される
清らかな血液のように

誤って付けた
右の手首の
剃刀の傷口から

私の紅い血が垂れ流れ
何かが流れ込んでくる


人は昔
魚だったのだ

其れはきっと本当なのだ


だって
私の足はもう
魚の尾ヒレに成っている気がする

生白い肌には
うっすら
ウロコがある気がする

触って確かめられないのは
手に枷があるからだ

眼で見ることが出来ないのは
私の頭が
卑しく下等な
人間だからだ



私は今
人魚に成った

いや

『成った』

のではなく

『還った』

のだ



本来
私が在るべき姿に

人が本来
在るべき姿に

私は

還ったのだ





私ハ人魚
動ケヌ人魚

魂ガ腐敗シテイテ
人間ト同ジ匂イガスル






涙ガ頬ヲ流レタラ 一緒ニ御家ヘ帰リマセウ