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僕はシェアウェア作家が悪党に思えてなりません。
昔、フリーウェアばかりだったころ、シェアウェアは悪徳だ!との評価が定まっていたのではなかったのですか? それとも私の住んでいた地域(中国地方)だけのことかな。
TeXやLHA、ISH、MAG、FDなどの有名ソフトの他、特定地域でしか手に入らないローカルなものなど、みんながパソコンを使いやすくしようと知恵を出し合っているときに、金を取ろうという輩が増えてきた。なんて汚くいやしいやつらだ、許せない、とそりゃもう今のクラッカーに対する攻撃以上のものだったように記憶しています。そりゃそうですよね、ボランティア精神に水を差すんですから。
フリーウェアが導入された環境でフリーウェアを作る。そこにはボランティアの環がありました。そこに一人でも金を取る者が現れれば、以後その環は機能しません。金、という禁断の果実、みんなが我慢してたのに、なぜだ。自分も細々と作っていましたから、とてもやるせないです。
現在、シェアウェアを作るのは高くつくからだとか、お金を得ることによって制作の意欲が湧くということを主張する人もいるでしょう。しかし、昔も市販言語やツールは高かった(昔の方が高い!)し、なにより金以外のもので制作意欲を湧かしていたのです。
シェアウェア作家と不正使用者の争いがあるようですが、目くそ鼻くそを笑うかのように見えます。
もういちど原点に帰ってみませんか?
当面のこととして、シェアウェア作家は己の負の側面(しかないように思える)を認識し、決して威張らないことを提案します。
こんにちは。
きつねうどんさん> 昔、フリーウェアばかりだったころ、シェアウェアは悪徳だ!との評価が定まっ
きつねうどんさん>ていたのではなかったのですか?
なんとなく、思ったのですが、昔習った 石の通貨が使われだした 太古の昔のお話を思い出してしまいました。 きっと大昔もそのようなものだったのではないでしょうか。
コンピュータの世界も昔は、通信環境まで持っているユーザー数なんてたかがしれた、非常に閉ざされた環境でしたから、シェアウエア化がさして意味の無い事だという事を作者さん達は知っていたと思います。 その中でシェアウエア化をした方達は、実験的な試みを行なった方達で、きっと批判も覚悟で人とは違う道を踏み出した、非常に勇気ある方達と私は思っています。
今は通信のできるユーザー数も爆発的に増え、シェアウエア化も意味の有る市場ができていると思います。 そんな現在のこの環境でソフトを公開することで、一攫千金!なんて物語が存在するってことはとても素晴らしい事ではないでしょうか(これは同時に、世の中に認められたと解釈してもよい市場規模だと思いますし)。なら「シェアウエア」って言葉を使うなってことにはなりますが、昔どなたかも書いていたと思いますが 用語が氾濫して複雑化するより、認知された「***ウェア」で通したほうが、とも感じます。それとも代替するうまい用語(雑誌でも常用用語になっているほどの)が広がればそれを使います。「有料ソフトです」なんて書いて、利用者に「えっ?シェアウェアと何が違うの?」なんて、またハテナマークを増やしたくないです。
そしてフリーウエアも局所的な機能を持ったものなら良いのですが、広い機能を有したようなソフトをフリー化するのは、今ある通信環境で行なうのはある意味危険をはらむような気がします。 IEが行なったようなダンピング行為は、全ての分野でやられれば、シェアウエアを含む、ソフト産業界で血液(資金)の循環が激減してしまいます。
極論ですが、「世の中の物が全て無料になればみんな幸せになれるか」だろう[か]とおもうんです。
> 極論ですが、「世の中の物が全て無料になればみんな幸せになれるか」だろう[か]とおもうんです。
個人的には世の中の物が全て無料になってもみなが幸せになれるとは思いません。
社会主義というのはある意味それを目指したものだと思いますが、社会全体が
非効率で北朝鮮や旧ソ連のように国民の大部分が飢えてしまうこともあります。
私は各個人や法人が貢献した度合いにみあった代金が公正に支払われる社会シス
テムが理想に思えます。(その理由をここに書くには文字数制限がつらい)