無料アカウント

くわえた煙草の灰が長くなっている。

新しくベージを作ろうとして、適当な web スペースを無料で提供する サーバ会社のホームページを見ていたのだが、 あいているアドレスがなかった。 だから、あいているアドレスを探して、 しきりとマウスをクリックしていた。

燃料切れ直前の飛行機が 滑走路を探して右往左往しているような感じに近い。

だめだ。

あいているアドレスを見つけて、ユーザ登録をしても いつも誰かに先を越されていた。 灰皿には、ほとんど吸いもしないで灰になった煙草が何本かたまった。

なんでこんなことを思いついたのか自分でもわからなかった。 自分のページなど沢山持っている。 しかも、自分がいくらでも自由になるサーバ上に…。 そこでは理屈上、専制君主以上の専横が許されるはずだった。 が、そこに自分のページなど持てるはずもなかった。

特別なことをしたいわけではなかった。 ただ、自分の考えを含んだ文章を書きたかっただけだ。 しかし、自分の考えを書いたホームページを持つことなど自殺行為に等しかった。 職場の者がそれをみたら、きっと嗤うだろう。 嗤うだけではなく、先々の人事でそれが不利に働くこともありそうだった。 だから、自分のページに自分の考えを書くなどといったことはずっと控えて来た。 ページを作るという積極的な行為のせいで、 何もしない消極的な人間に自分の首が絞められるのはごめんだった。

でも我慢は限界だった。 どうしても、自分の思ったことを書きたい。 これだけ自由の保証された国で、 書きたいことが書けない。 なんという不自由なことであろうかと思わずにはいられなかった。 そして、不自由さは言論にとどまらなかった。 馬鹿にしていた無料サービスの、たった一つのアカウントすら手に入らない!

今までは、自分のサーバにページを持つのがもっとも理想的だと思って来た。 100 MB でも 1GB でも好きなだけ使えるし、 CGI を使おうが SSI を使おうが誰に禁止されるいわれもなかった。 それにレイアウトをぶちこわしにする広告なんか一切入らない。 だから、広告の入る無料 web スペースのサービスなんか頼まれても使う気にはなれなかった。

しかし、今は違った。 その広告の入る一山いくらもしないアカウントは数万が数万全部自分に背を向けて拒絶していた。

アカウントが欲しい。アカウントが欲しい。 無論、これが自分のサーバだったら、 アカウントなんか捨てる程作ることができた。 数千でも、数万でも。 しかも、それらは本当に好きなように使えるはずだった。 しかし、たった一つの 12 MB 足らずの 借りもののアカウントの価値はそれらのアカウントの価値を圧倒していた。

さっきから、 ID が既に誰かにとられているというエラーが出る。 とられているというのは正確ではないかも知れない。 誰も嫌がらせで ID を登録しているわけではないからだ。 それに既に人の登録した ID を入れているのは自分だった。 しかし、何回か ID の再入力をせざるを得ないということが、 苛立ちをますます煽った。

自分の情報をフォームに記入するのだって、けっこうな時間がかかる。 こんなことで、もたついている間にこのアドレスが他人にとられたら 最初からやり直しだ。

ランダムな ID にすればいいのかもしれない。 一瞬そう思ったが、後で厄介なことになりそうな気がした。 母音を省略する。ありがちな略記法を使う。数字を適当に付け加える。 数回この試行錯誤をした後、やっと通ったようだったが、 このアドレスは既に人にとられてしまっていた。

がっくりと肩を落して、一つ前のページに戻ることにした。 隣接するアドレスのページが表示されている。 大部分が工事中だ。 中には、とったのはいいが、ページも作らず放置されているものまである。 主婦、中学生、大学生…。

腹立ちを抑えることができなかった。 いったい何という不公平なことだ。 せっかくとったアカウントを放置している馬鹿者がいる! このアカウントは本当にその価値がわかっている人間にこそ与えられるものだ。

そういうページを見ていると、ID が表示されているページがあった。 中学生のページらしい。 どうも、アカウントをとったのは良いが放置してあるようだ。 ftp でアクセスしてみた。 見当でいくつかパスワードと思われるものを試したら、 みごとログインできた。

口の中で不平の音を鳴らした。

せっかくとったアカウントなのにパスワードすらちゃんと設定していない。 おおかた、その時の気まぐれでアカウントをとってみたが すぐに飽きて放置したのだろう。 なんというもったいないことをするものだ。 なんというものを粗末にする感覚だ。 お前になど、このアカウントを使う資格はない。 自分が有効利用するから、TV ゲームでもしていればいい。


数日後、警察から、 日記のページを作りたいばかりに、 彼が中学生のアカウントを無断に不正使用していた事実が会社の上司に告げられた。 それに、非公式だが、彼の日記の内容もそれとなく伝えられた。 それは毒にも薬にもならないような平凡なもので、 彼の危惧に反して、 平凡という以外には誰の記憶にも残らなかった。 が、 web サーバの管理者をしているくせに、 ちっぽけな無料サービスのアカウントを不正使用したということは彼の元の同僚たちのいい笑いぐさになった。

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