佐伯麻由美は今年専門学校を出たばかりで、 左右田一之の下で働くことになった。
彼は、そして、麻由美は、 ある ISP の web サーバを管理している。 この会社はインターネットの接続サービスをしているかたわら、 接続サービスの契約者に対して、 一人あたり 10 MB のホームページスペースを無料で開放している。 以前は、有料だったのだが、 競争の激化にともない無料となったのであった。 もっとも、 その程度のことならどの会社でもしていることだ。
左右田は、 この会社の web サーバの管理者の主任だ。 しかし、ごく普通の管理者同様、 彼も直接管理作業を行っている。 左右田は、四十ちょっと前だったが、 神経質で気難しかった。 そして、 どこか石頭なところもあった。
たとえば、
最初に麻由美が左右田に会ったときも、歯に衣を着せず罵った。
「なんだ。女か」
が、麻由美だって黙っていなかった。
「女じゃダメなんですか?」
「そんなことはないが、
その格好はなんだ?
スカートなんぞはいて、
かかとの高い靴なんかはいて。
ここはな、
遊び場じゃないんだ。
あしたから、
ジーンズで来るんだな」
そして、
左右田はいきなり、
麻由美の手をつかんで続けた。
「あとな、
この爪も切ってこい。
なんだ、
こんなにのばして?
あと、マニュキアもとってこいよ」
「ちょっと、あんまりじゃないですか?
それって、セクハラですけど」
「ほう。セクハラねぇ。結構だねぇ。
だがな、
仕事を一人前にしてから、
そういう寝言は言うんだな」
「それって、差別じゃないですか?」
「じゃあ、こんな仕事はやめるんだな」
「…」
結局、左右田の大きなだみ声に圧倒され、
麻由美は引き下がった。
次の日、麻由美は言われたとおりの服装で出勤してきた。
別に、左右田の言うことがわからない訳じゃない。
問題は、言い方だった。
「主任さん。
ちゃんと今日は、パンツはいてきましたからね」
「なんだ。佐伯は、普段下着をつけていないのか?
まったく、
最近は、なにが流行るかわからんな」
「あのう。パンツって、
これなんですけど」
麻由美はジーンズを指さした。
「そうか、
今はズボンのことをパンツというのか。紛らわしいな」
麻由美は最初にログファイルのチェックを命じられた。
一種の小手調べである。
httpd のログの行数を数えてみたら、
6 号機だけ 1000 行ほど増えている。
「どうだ?」
「あのう、初めてなので、
良くわからないのですが、
6 号機のアクセスが昨日より 1000 増えています」
「ああ、良くあることだ。
注目を浴びるようなファイルでも、
アップロードされたんだろうさ」
次の日も、
6 号機だけ、さらに 1000 アクセス増えていた。
「また、1000 アクセス増加しています」
「ん? ということは、
一昨日に比べて 2000 増か?
ちょっと気になるな。
ワレモノでも落ちていないかどうか、
調べてくれ」
麻由美は、
ごそごそと、
はいつくばってデスクの下を
あらためだした。
「おい。なにやってんだ?」
「はぁ。割れ物を探しているんですが」
「あのな。
ワレモノっていうのは、
ソフトや音楽データの違法コピーのことだ」
「あぁ」
「find コマンドは使えるな?」
「ええ」
「ほう。それは感心。
じゃあ、拡張子が
iso、mp3、
rar、zip、tgz、lzh となっているファイルと、
念のためにサイズが 1 MB
以上の JPEG、GIF ファイルをリストアップしてくれ」
「画像ファイルもですか?」
「そうだ、
連中は違法にコピーしたファイルの断片をそういうところに隠すからな」
「はい」
麻由美は早速仕事に取りかかった。
一時間して、結果を左右田に見せた。
「これだけか?
やけに少ないな。
しかし、馬鹿な奴もいるもんだ。
すぐに身許のわかるアカウントを使うとはな。
とりあえず、
ファイルへのアクセス数を調べてくれ」
左右田はワープロソフトを起動して、
報告書を書き始めた。
「あのう」
「なんだ」
「アクセス数が異様に少ないんですけど」
「どのくらいだ?」
「昨日が 173 で、今日はまだ 57 です」
「それじゃあ何か?
ほかに原因があるのか?」
次の日もアクセスは増えていた。
しかし、今度は、2800 も一気に増えていた。
「主任さん。またです。
ねずみ算式に増えてます」
「ログをスキャンして、
どのユーザのページか
ちょっと調べてみてくれないか?」
「はい」
結果がでるのにものの十五分もかからなかった。
「どうも、このページのようです。
ここ数日、アクセスが集中しているのは」
「なるほどな。
ちょっと見てみるか」
ブラウザで開いてみると、
なんの変哲もない個人のページがあっただけだった。
コンテンツは、
コラム、日記だけ。
「おかしいな。
このページでいいのか?
『○○魂』って奴だぞ」
「たしかに、このページです」
「これに、そんなにアクセスがあるのか?
ざっと見た限り、
面白くともなんともない日記があるだけじゃないか?」
「そうですね」
「まあ、これ以上は、
俺たちの関知するところじゃないな。
ずいぶんと、時間を無駄にしたもんだ。さあ、しごとしごと」
翌日には一気に 10000 に達していた。
「主任さん。一気に増えました」
「まあ、このぐらいなら大丈夫だろう。
ロードアベレージはどのくらいだ?」
「0.92 です」
「ちょっと高いな。しかし、
この程度じゃ、文句も言えないしな」
左右田はあることに思い当たり、麻由美に聞いてみた。
「ところで、
アクセスはどこからだ?
あるいは、これは、
嫌がらせの一種か攻撃の類かも知れない」
さっそく麻由美は調べてみた。
「特にアクセスに偏った点はありません。
まんべんなく、
色々なところからアクセスしています。
もっとも、
国内からですが」
「じゃあ、嫌がらせで何らかのソフトを使って GET しているのでも
なさそうだな」
次の日には、20000。
そして、その次の日には 40000 に達していた。
「やっぱり、あのページか?」
「そうみたいです」
「商用なら、別におかしくないんだが、個人のページで、
このアクセスはちょっと予想外だな。
この調子だと、別に移ってもらわないといけないな。
まあ、
とりあえず Apache のチューニングでもするかな」
それから、
左右田は麻由美に言ってプログラムの設定ファイルを書き直させた。
数日後、負荷は 80000 アクセスに達した。
「いかんな。
この調子で
100000 アクセスに達したら、どうしようもなくなる。
『○○魂』
だがなんだか知らないが、
トーシロのページの一つや二つで、
サーバを止めたくないな。
こっちにだって、
管理者魂があるからな」
しかし、
嵐のようなアクセスは、
すぐにやってきた。
朝一番にチェックすると、
ログファイルのあるファイルシステムは溢れる寸前になっていた。
「主任さん。
これだと、
すぐにファイルシステムが
溢れます」
「何パーセントだ?」
「92 パーセントです」
「じゃあ、
ログファイルを別のファイルシステムに移すしかないな。
一瞬、Apache だけ止めるぞ」
二人はログファイルを余裕のあるところに移動して、
サーバプログラムを再起動した。
「悪いが、今夜は泊まってもらうぞ。今夜あたりが峠だな」
「はい」
その晩、
怒濤のようなアクセスが 6 番サーバを襲った。
「主任さん。なんか、様子がおかしいです。異様に重いです」
「ロードアベレージは?」
「えーと…。
プロンプトが返ってきません」
左右田は麻由美と替わった。
「いったい、なにが起こっているんだ?」
ps コマンドを打ったが反応がない。
「しょうがないな。
胸糞悪いが一度停止させるぞ。
落として」
麻由美は shutdown コマンドを打ち込む。
が、何の音沙汰もない。
「shutdown できません」
「当たり前だろう。
L1 キーを押しながら、A を押せ。
それから、
シングルユーザモードで再起動」
「はい」
さっきまでの騒ぎが嘘のように静まった。
「やれやれ。
クレームが殺到するだろうな。
とりあえず、今の強制終了でファイルシステムが損傷したかもしれないので、
それを修復するのが先だな」
「うーん、落ちがつけられないな。アップロードはやめにしようかな?」
雑文サイトを持っている松本は、
思わずそうつぶやいた。
手元には、あるレビューサイトで見つけた、
極めて有名なテキストサイトへの投票数のデータがあった。
2001.1.26 11 票 2001.2.02 231 票 2001.2.09 244 票 2001.2.16 1005 票 2001.2.23 2002 票 2001.3.02 4477 票 2001.3.09 10251 票 2001.3.16 64279 票 2001.3.23 186609 票 2001.3.30 35086 票 2001.4.06 316741 票 2001.4.13 339965 票 2001.4.20 417919 票 2001.4.27 432899 票 2001.5.04 458362 票
3 月 30 日のアクセスだけが異様に少なくなっている。 松本は、これとそこに書かれたコメントをみて、 ふと、こんなこともあるのかもしれないなと思って、 筆をとってみたが、 どうにもうまくいかない。
この有名なサイトのアクセス数の突出ぶりはつとに引き合いに出される。 誰もが、予想できなかったという言葉でこれを形容するが、 予想できなかったのは、 テキストサイトの関係者ばかりではなかったはずだ。 おそらく、 そのサーバを管理していた人間も、 一個人の趣味のページがここまでのアクセスを稼ぐとは、 思っていなかったに違いない。
※文中のアクセス数のデータは、 愛・蔵太さん の 備忘録2001年5月分 より抜粋しました。