風評被害

テレビに若い女性が映っている。 ニュースキャスターの田宮美鈴だ。 バックにはうちの吉祥寺店が見える。

俺は、あるバーガー・チェーン店のグループの副社長をしている。 バーガーはファスト・フードの王者で、 ジャンクフードなどと言われつつも、 バーガー・ショップはいつも客であふれている。 とはいえ、 この業界もご多分に漏れず競争が激しい。 ことに日本では大手二社に市場が独占されており、 新規参入はかなり難しい。 古くからあるのが、 アメリカ資本をバックにした A 社で、 日本ではこの A 社が最もシェアを伸ばしている。 その次が B 社で、 注文の都度作るのが特徴だ。 ハンバーガーの値段は高いが「ヘルシー」さが受けてなかなかの健闘ぶりだ。 そして、その二社のシェアに割り込んだのがわが社である。 もっとも、 後発で知名度もさほど 高くないわが社の業績は、 あまり芳しくなかった。 それに追い打ちをかけたのが今回の風評被害である。 バーガーに 猫の肉を混ぜているという噂がまことしやかに流れている。

たとえば、こんな話がある。 ある店でバンズ、つまり、 ハンバーガーのパンが切れそうなった。 そこで、あるアルバイトの雇員がバンズをとりに行くことになった。 が、 まだ不慣れなその雇員は間違えて、 普段は開かずの間になっている部屋のドアを開けてしまった。 なんとそこには 夥しい数の猫の生首があったという。 そして、 その雇員はその事実を口外することを固く口止めされた。

このほかにも、 色々なヴァリエーションがあるが、 まあ、 だいたいこんな感じの話が圧倒的である。

こんな話は、嘘に決まっている。 仮に猫肉を使っているにしても、 各店で解体しているわけがないから、 猫の生首が開かずの間にあることもない。 だいたい、 解体を行う技術者を各店に置けるような余裕はわが社にはない。

が、噂というものは恐ろしい。 こんな常識で考えても嘘と分かるような噂でも、 確実に売り上げに影響した。 しかも、 そういうばかばかしい噂をテレビ局が真面目に取りあげている。 目の前で、 キャスターの田宮美鈴が論評しているのは、 その噂の真偽であった。

もちろん、わが社だって黙って見過ごすわけにはいかなかった。 何度も「猫肉は使っていない」と、 宣伝したが誰も信用しなかった。 それに、 そこまで疑うのなら、 科学的な検査でもすればいいと思うのだが、 ネタがなくなるのを恐れてか、 誰もはっきりさせようとしなかった。 つまり、ああでもない、こうでもないと、 核心から遠く離れたところでの 推理を楽しんでいるかのようにみえるのだった。

携帯が鳴った。 専務からだ。
「はい」
「副社長ですか? テレビ局から取材の申し込みがきています」
「そうか。気は進まないが、断るわけにはいかんだろうな」
「そうですね。 ご面倒でしょうが、 お願いします」
「うん。わかった。 ところで、どこのテレビ局だ?」
「えーと、 たしか人気キャスターの田宮美鈴の番組だと思いました。 田宮美鈴がじかに 副社長にインタビューするそうですよ」
「そうか。ますます気が進まんな」
「そうかも知れませんが、 ひとつお願いします」
「うん。わかった」

次の日、田宮美鈴がカメラマンを引き連れてやってきた。 俺はこのキャスターが大嫌いだったが、 にこにことした表情を作って応対した。 彼女は取材の趣旨を一通り説明すると、 俺にマイクを向けて、インタビューを始めた。 カメラも同時に回り始める。

「みなさん、こんばんは。 今日は猫肉疑惑の バーガー・チェーン会社の副社長さんのお話を伺いたいと思います。 よろしくお願いします」
「こんばんは。 こちらこそ、よろしく」
取材は実際には昼だったが、 放送時間に合わせて、 日の高いのに「こんばんは」などといった、 頓珍漢な挨拶が交わされた。
「さて、 単刀直入にお尋ねしますが、 本当に猫肉は使われていないのでしょうか?」
「ええ。 当社では、猫肉は 決して使っておりません」
「しかし、内部告発という形でそういった情報が流れていますが」
「それは、根も葉もない噂に便乗して、 解雇された者がいいふらしているのでしょう。 当社では然るべき法的処置をとることも現在検討している次第です」
そりゃそうだ、 これが事実に基づいた 内部告発なら、 もっと違ったものになるはずだ。
「なるほど。では、伺いますが、 貴社はハンバーガー・チェーン店の協会には加盟されてないとのことですが?」
さすがに良く調べている。 だが、だからといってクロというわけでもないだろう。
「ええ。おっしゃるとおり、協会には加盟していません。 しかし、必ず加盟しなくてはならないものでもありませんよ」
「なぜでしょうか?」
「単なるポリシーの違いですな」
「はぁ。 ところで、他にも、病死牛肉を使っているという噂がありますが」
「いえいえ。 当社はそんなものを使っておりません。 当社の製品は安全です」
さっきから、 にこやかな表情を作っていたのだが、 さすがにこの質問には、 腹が立った。 いくらなんでも、 病死牛肉とは失礼ではないか。 だいたい、 このキャスターは何を考えているのだ? 最初から、うちをクロと決めてかかっている。 インタビュー自体が視聴者にそういった印象を 植え付けるように仕組まれているとしか思えなかった。
「安全? そうおっしゃる根拠は何でしょうか?」
「は? 根拠ですか…」
根拠とは何だ? それを言いたいのは、 こっちの方だった。 根拠もなく風評に飛びついたのは、 マスコミじゃなかったか? しかし、 感情を抑えて、 答えた。
「根拠は残念ながら申し上げられません。 企業秘密でもありますので」
「それじゃあ何の答えにもなっていないじゃありませんか? ただ、大丈夫といわれても消費者は納得しませんし、 肝心なところで企業秘密で逃げられたのでは、 疑惑は深まるばかりです」
この馬鹿が。 科学検査、ことに、 肉の DNA 検査をすれば明らかだろうに。 たとえ天地がひっくりかえっても、 うちのバーガーは安全なのだ。 それは小学生にだって分かる理屈だ。
「なんと言われようと、うちのは安全です」
喧嘩腰になっていた。
「ですから、その根拠を…」
俺の中で、何かが壊れるような気がした。 切れるというのはこんなものかも知れないなと、妙に納得した。
「馬鹿なことを言うもんじゃない。 うちは、食用ミミズを使っている。 だから猫なんて使っていないんだ」
「…」

すっきりした。 もやもやとしたつかえがとれたようだった。 しかし、俺は即日解雇された。

当然、 ニュースはこのインタビューの一部始終を放映した。 会社は回復不可能の打撃を受けたかと思われたが、 その月は先年比で 10% 増の売り上げを記録した。

あのインタビューが放映された日、 狂牛病にかかった牛が初めて日本で発見されたのだった。 日本全体がパニック状態に陥ったと言っても言いすぎではなかった。 焼肉屋、 ハンバーガーショップ、 ステーキハウスなど、 牛肉を扱っているところは軒並み売り上げが落ちた。 しかし、 うちは関係なかった。 そもそも、 牛肉なんて縁がなかったから狂牛病も怖くなかった。 それに、 うちは決して 「ビーフ 100% 」 なんてうたっていなかった。 消費者が勝手にビーフを使っていると思いこんでいただけだったのである。 だから、法的にも一切の問題はなかった。 そして、 猫肉疑惑もあらぬ噂ということになった。 もっとも、 狂牛病の騒ぎがなければ、 危なかったろう。 大騒ぎになっていたに違いなかった。 しかし、 おかげで、 代替食品としてミミズの肉は確固たる地位を得るようになったのであり、 私が勤めていた会社は倒産は免れた。

テレビを見ると、 田宮美鈴が茶髪の若者にインタビューしていた。 若者はバーガーをパクついている。
「どうですか。そのミミズ・ハンバーガーの味は?」
「うまいよ」
「気味悪くないですか?」
「さぁ、別に。 それに、これなら狂牛病も怖くないしね」

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