荒しの作り方

彼女は最初はごく普通にネットを楽しんでいた。 web をみてまわったり、 掲示板に書き込んだり…。 彼女がとりわけ好きだったのがチャットだった。 他愛はないが、肩のこらない話を仲間とするのが毎晩の楽しみだった。 ありきたりといえば、ありきたりなネットの楽しみ方だが、 そういう彼女の楽しみを人がどうこういう筋合はないだろう。

その後一年ばかりしてから、 彼女は荒しになって方々を荒し回った挙げ句にネットを やめてしまったらしいという噂を聞いた。 私はにわかには信じられなかった。 色々な人物に聞いて、 なぜ彼女が荒しなんかを始めるようになったかを まとめたものがこの文章である。 もっとも、情報のソースはネットの上の根も葉もない噂だから、 あるいは物語以上のものではないのかも知れない。


彼女たちのチャットも御多分にもれず、 ずっと平和であり続けるわけにはいかなかったらしい。 ある日を境にして、 彼女たちのチャットはひどく荒されるようになった。 荒した方は悪戯半分だったのだろうが、 彼女の受けたダメージは決して小さくはなかった。 卑猥な言葉を大量に書き込まれ、 タグでチャットプログラムは破壊された。 それでも、参加者はおろおろするばかりで、なす術がなかった。

もちろん、悪いのは荒しだが、 彼女はなすがままだった自分を情けないと思っていた。 彼女は負けず嫌いだった。 とりあえず、防御法や荒しの正体を知るために、 ネットワーク上の色々な資料や講座を読み漁ってみた。 多少の知識を得てから、改めてチャットのログを見たところ、 あることに彼女は気がついた。 荒しは決ってある掲示板からやって来る。 彼女がその掲示板に乗り込んでみると、 そこは荒しの巣窟だった。 荒しでも掲示板を持つということが、なぜか不思議だったが、 ともかく、彼女はその掲示板にこれ以上の攻撃をやめるように書き込んだ。

しかし、ネットワークの知識に関しては彼らの方がうわてだった。 契約しているプロバイダや、どこに住んでいるかまで暴露されてしまい。 更に、お前のパソコンを乗っ取って壊すことなど朝飯前だと 脅されただけだった。

悔しくて悔しくてたまらなかった。 もしも、知識があれば、あいつらに負けないのに。 そういう思いが彼女の心にどす黒い汚点を作った。

彼女の抗議は荒したちの嘲笑をかっただけだったが、 荒しの巣窟を見つけたことは一つの収穫だった。 彼らの攻撃の手口を知る手がかりがその掲示板には沢山 書き込まれてあったのである。

彼女は連中の手口を相当な時間をかけて研究した。 その結果、荒されないようなチャットの作り方や、 彼らが大量に書き込んで攻撃する時には、 ブラウザではなく、 特別なプログラムを使用することもわかった。 彼女は攻撃用のプログラムも手にいれた。 いつか、これを使って荒しの巣窟を潰し、 人に迷惑をかける荒しを殲滅するつもりだった。

彼女は攻撃の研究をしつつも、毎日荒しの巣窟を見張った。 さすがに荒しの巣窟だけあって、長くは一箇所に留まっていなかった。 ある時には、別の荒しにあらされて、あるいは、 ある時はサーバの管理者にアカウントごと削除されてしまうこともあった。 が、彼女は移転先をその都度突き止め、見失わないようにした。 移転先を知るのは大変といえば大変だったが、 コツをつかめば割合に簡単だった。 ネットワークの裏世界は広いようで狭い。 裏世界に出入りしている限り、彼らの動静は簡単に知ることが出来た。

数ヵ月後、彼女はどっぷりと裏世界に浸かっていた。 ハンドルネームもそれらしいものに変えた。 そして、彼女は裏世界の一遇に自分のページを持つようになった。 裏世界といっても、犯罪者ばかりではなかった。 怖いもの見たさの中高生とか、 暇を持て余した大学生。 正統的でない、裏技的な知識の虜になった者たちが大部分で、 しかも、平均をとれば、 知識という点でも、裏世界の方が格別高いわけでもなかった。 大部分は、知ったか振りや、法螺や、はったりの類だった。 つまりは、裏世界はどうしようもない落伍者ばかりの世界だったのである。

もっとも、 彼女は真剣に荒しの殲滅を考えていたので、 熱心に攻撃法を学んだ。 それに、その手の知識の吸収も早かった。 その結果、 相手の言っていることが はったりかどうかは簡単に区別することができるようになった。

が、この世界にはトラブルは絶えない。 ちょっとでも目立つと、 関係のない連中までちょっかいを出して来る。 ただ、本格的な攻撃をして来るような連中は皆無で、 いいがかりや不愉快な言葉で煽るのがせいぜいだ。

ある日、特別の技術も持たない、どうでもいいような、 小物の荒しと喧嘩になった。 もちろん、喧嘩といっても口論の域を出ない。 彼女は掲示板を破壊する書き込みプログラムを使用して、 その小物の荒しの掲示板に何百という書き込みをした。 彼女が破壊用の書き込みプログラムを使ったのはこれが最初だが、 次から次へとプログラムが書き込みをするのを見ているのは痛快だった。

小物でも荒しは荒し。 そんなやつの掲示板など潰した方が世の中のため。 彼女はそう合理化した。

しかし、こればかりではなかった。 その一件で彼女は、裏世界では一目おかれるようになった。 以前よりも目立ってしまったのである。 そして、目立てば、ちょっかいを出す者がでる。 その都度、荒しとみなして、彼女は相手の掲示板を潰していった。 その結果、また彼女は目立ってしまう…。 既に、彼女は出口のない悪循環にとらえられ、 押しも押されもしない荒しとなっていた。 しかも、単なる口論から発展して荒してしまうことが多かった。 彼女は負けず嫌いで、気が短かった。

例によって、彼女は宿敵である掲示板に乗り込んだ。 彼女はその掲示板から自分のサイトへリンクが張られるごとに 乗り込んで抗議していたのである。 しかし、 いつもは沈黙しているだけの掲示板の主宰者が彼女にレスを返して来た。 意外なことに、主宰者のものごしは、 荒しの掲示板の主宰者とは思えぬ程、穏やかな感じだった。

その掲示板は今となっては荒しの巣窟のようになっているが、 単なる仲間うちでおしゃべりをするだけのものだった。 ある日、そこに荒しがやってきて徹底的に荒した。 何日も。 そして、それに飽きた荒しがそこにいつくようになっただけだった。 これがその掲示板の由来だった。 主宰者自身は荒しではなく、 単に自分の掲示板の管理を放棄しているだけだった。

そのレスを見ているうちに、 彼女は、他の誰も気がつかないことを知ってしまった。 その主宰者もまた、女性だった! 考えてみれば、境遇は自分とまったく同じだった。 いや、特殊なプログラムを使って掲示板を潰して回る自分の方がもっと質が悪かった!

彼女はその晩、泣きながら、パソコンを壊していたらしい。 最も自分が嫌う人間に自分自身が変貌してしまったことに絶望して。

彼女は自分自身をも殲滅せざるを得なくなったのだ。

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