私が淳子に振られてから、何年たつだろう。
私と淳子は同じ大学に通っていた。 淳子は応用化学を、私は生物工学を専攻していた。 私たちは最初のうちはうまくいっていた。 お茶を飲んだり、一緒に帰ったり…。 しかし、ふとした誤解から、淳子と喧嘩になり、 そして、ついに私は振られた。
私は何度その誤解を解こうとしたかわからない。 しかし、淳子は取り合ってくれなかった。 何度電話をかけても駄目だったし、 手紙も書いたが全部戻って来た。 帰りがけに待っていても、逆に悪意でまちぶせしていたと思われた。
あれから、もう 15 年たった。 淳子の消息は知れない。 今は私は会社の社長をしている。 特許を沢山持っているために、 私の会社は小さいながらも相当の利潤をあげている。 私はまだ四十前だが、 毎年何億もの収入が入ってくる裕福な立場にある。
私の会社は移植用の臓器を販売している会社だ。 だがいわゆる臓器売買とは訳が違う。 かって存在した、 クローン人間から臓器摘出をするような野蛮な非人間的なことはしていない。 これは私の大学での研究と私の特許に関係している。 私が持っているのは、 遺伝子複製とナノテクノロジーの特許だ。 だから、生きているものの命を奪わず、 臓器を製造することができる。 つまり、うちの会社は 人間の臓器と同じ組織からなる人工臓器の製造をしているのである。
私は社会的に成功したくて、こんなことをはじめたのではなかった。 私は淳子の複製を作りたくて、この研究をはじめ、この会社を興した。 そして、遂に、人間の複製を作成するための目処がついた。
むろん、わざわざこんな面倒なことをしなくても、 大昔のクローン人間を作る技術を使えば、淳子の複製は作れる。 しかし、生殖細胞のレベルからそれを行うために、 淳子が成長するまで待たなければならない。 その間に私は歳をとってしまうし、 成長するまでに受ける環境の影響のために、 真の意味での複製とはならない。 それでは意味がないのだ。 今の年齢の淳子、ありのままの淳子が欲しいだけだ。 そういう私の夢をかなえるためには、 一気に作ってしまう方法しかない。
ただ一つ問題があった。 思考様式と記憶の複製である。 脳自体はうちの会社の技術でいくらでも作れるが、 脳だけあっても役に立たない。 繰り返すが、私が欲しいのは、 私を憎み嫌っていても構わないから、 とにかく、ありのままの淳子なのだ。 しかし、完璧でないにしろ、それらの複製をとる方法の目処がついた。 若い時からずっと待ち望んでいた夢を かなえられる日がとうとうやって来たのだ。
私は金にものをいわせて、淳子の現在の所在を突き止めた。 そして、彼女を誘拐した。 もちろん、こんなことはしたくはなかったが、やむを得なかった。 複製を作成するためには、どうしてもオリジナルが必要になる。
「ここはどこ?」
どうやら催眠ガスの効力が切れたようだ。
彼女は手術台の上に横たわっている。
布がかけてあるが、淳子は裸のはずだ。
それから、動けないように縛ってある。
「あ、あなたは」
私のことを覚えているようだ。
あれだけ、つきまとったのだ。いまだに覚えているだろう。
「ごめん。どうしてこんなことをしたのか説明するよ」
「あなたの説明なんか聞きたくないわよ。
それに…。私を裸にして何をするつもりなの。
私の体を自由にしたいんでしょう。
あなたって、やはり最低の人間だったのね。
あなたは不潔よ」
「いや、ちがうよ。裸にしたのはやむを得なかったんだ。
それに、僕は君の裸を見た訳じゃない。
君の服を脱がせたのは女性の技術者だ。
それに、君の体が欲しい訳じゃない…。
ああ…。
違った。
正確には、君の体が欲しいのだけど、
その体にどうこうしようというつもりはないんだ。
僕が欲しいのは、君のコピーなんだ」
しかし、こんなことを言っても無駄だった。
「あなたの言うことはまったく訳がわからないわ。
コピー?
わかったわ。
できたとして、それをどうするつもりなの?
私のコピーをおもちゃにするつもりなんでしょう?
あなたは気が狂っているわ。
そんなことをするくらいなら、
この体を好きなようにすれば良いのよ。
あなたも男でしょ?
うじうじしていないで、そのぐらいのことをやってみたら?
どうせ出来ないでしょうけど」
やはり予想通りの反応だった。
「とにかく、君にそんなことしない。
それから、君のコピーにだってそんなことはしない。
僕は君のコピーに一緒にいてもらいだけなんだ。
お茶を飲み、散歩をし…。
それだけなんだよ。
とにかく、見ていればわかるから」
そう言って、私は会社の技術者に命じ、 彼女の体のデータをスキャナーで記録させることにした。 ちょうど、大昔の CT スキャナーみたいな感じの機械だ。 しかし、この機械は写真をとるばかりではなく、 ナノレベルの情報を収集できる。
7 時間程経過して、情報のスキャンが終了した。 ここで、会社の女性技術者が彼女に服を返した。 彼女の思考様式と記憶は複製が出来上がってから複写する。 しかし、それを行うのは先の話だ。
取り敢えず、淳子には帰ってもらうことにした。
帰り際に淳子は
「あなたがやったことは、立派な犯罪よ。
誘拐と監禁。警察に訴えるから」
と言っていた。
しかし、私は訴えられなかった。 驚くべきことに淳子はかなりの頻度で自発的にこの研究所にやって来た。 どうやら、自分のコピーの成長具合が気になるらしい。
一週間が経った。 複製の淳子は、自律呼吸はできるが、まるで植物人間だ。 それに包帯でぐるぐるまきになっている。 記憶やその他すべてが複写されてもまだ覚醒していないのだ。 じっくり時間をかけないと元通りには戻らない。 ちょうど人間が死ぬ過程のその正反対を連想すると良いかも知れない。 単なる化合物から、ばらばらになった臓器が作り出され、 ばらばらの臓器を組み立て人間の肉体の体裁にする。 だが、この状態では死体と変わらない。 人工心肺で手助けして、自律的に呼吸させるようにする。 これでやっと死ぬ直前の状態と同じになる。 次に、少しずつ時間をかけて、記憶を回復させる。 まったくの痴呆状態から、元に戻すのだ。
一月がたった。 ちょうど、今の複製の淳子は、まさに痴呆状態の人間と変わらない。 だから、食事、排泄、入浴などの世話をする必要がある。 それは私の仕事だ。 そういった世話をしているところに、 本物の淳子が居合わせることもあったが、一切を私がやった。 これは複製の淳子にとってとても大切なことなのだ。 人が身体に触れ、話しかける。 それが脳に蓄積された様々なことを覚醒させるきっかけになる。
三ヵ月がたった。 相変わらず、 私はスプーンで淳子に食事を与え、身体を拭き、 寝返りをうたせ、 話しかけた。 それを本物の淳子が見ていることもある。 あれだけ、私を避け、憎んでいたのにここに来るのは、 好奇心のせいだろう。 あるいは、 自分の複製が心配なのかも知れない。
「すき」
私の淳子が、私に向かって言った最初の言葉がそれだった。
嫌な予感がした。
複写に完全に成功していれば、
私に向かってそんなことを言う筈はない。
あるいは、一部だけが活性化しているためなのかも知れない。
これを見て
「この人形はできそこないね」
と、本物の淳子は言った。
そのうち、 車椅子で移動できるようになった。 複写の淳子は私の手を握ったり、相変わらず、 私に「すき」だといっている。 もちろん、そう言ってもらえるのはとても嬉しいのだが、 どうもどこかの処理で失敗したような気がして不安だった。 本物の淳子なら、私を非難し、私のすべてを否定する筈だ。 私が欲しいのは、言いなりになる人形なんかではない。 独立した人格を持った、淳子そのものに他ならない。
ある日、本物の淳子がいる時にこのことを話した。
「やっぱり失敗したのかも知れない。
君の複写がこんなことを言う筈はないからね」
反応は予想通りだった。
「コピーなんて言っても、結局あなたは、
自分が自由になる人形が欲しかったのね。
記憶をコピーする際に、自分の都合のいい操作をしたに違いない。
浅ましい人だわ。
こんな大仕掛けなことをして、
ダッチワイフを作るなんて、やはりあなたは狂っているし、
嫌われて当然なのよ。
そんなことをするぐらいなら、私をすきにすれば良いのよ。
その方がまだ人間らしいわ」
彼女の言うことは身も蓋もなかった。
「いや、違うんだ。
僕はそんな小細工をしていない。
信じて欲しい。
それに、仮に複製だとしても、
僕は君の複製に変なことをしようとなんて考えていない。
一緒に居て欲しいだけなんだ」
半年経った。 歩行練習をはじめることにした。 私の淳子は寄せ集めの部品からできている。 しかも歩いた経験などないのだ。 だから、身体の動きはてんでばらばらで、 もつれて倒れることも多かった。 もちろん、これだって人任せにはしない。 いつも私が一緒について、歩く練習をした。 私の淳子は頻繁に転び、私もそして淳子も身体中に痣を作った。 それを凄い形相をして本物の淳子がみている。
私の淳子は、最近はかなり喋るようになって来た。 それでも、「ありがとう」「うれしい」「楽しい」 「ごめんなさい」ということをいう。 複製の淳子は絶対に私を責めない。 失敗したのではないかという不安はいつもつきまとっていた。 それでも私は楽しかったし、嬉しかった。 幸せだった。 私の淳子は私を見つめて、 微笑んだり、手を握りしめたり、 頬ずりしたりすることもあった。
最近は、本物の淳子はまったくの傍観者になっていた。 苦々しい表情をし、 私と私の淳子の様を見て、 馬鹿にし、見下し、嘲った。
しかし、私は大変なことに気がつかなかった。 複製された私の淳子は、本物の淳子が居る場合でも、 その場には、あたかも私しかいないように振舞う。 複製された淳子は本物の存在を無視していた。 そして、本物の淳子の方も 私に非難や罵詈雑言を浴びせかけることはあっても、 決して、複製の淳子に話しかけることはしない。 私はこれに早く気がつくべきだった。
一年経った。
破綻は突然訪れた。
私たちは、しばしば、一緒にお茶を飲むこともあった。
複製された淳子は身の周りのことも自力で出来るようになっていた。
ただ、本物の淳子のように、私を非難することは決してなかった。
それが複製された方の特徴だった。
その日もそうやってお茶を飲んでいた。
例によって、絶対に淳子同士では会話をしない。
しかし、
こともあろうに、本人の目の前で、複製された淳子はだしぬけに
「今まで黙っていたけど。この女をもうここにはつれて来ないで」
などと言い出した。
「黙ってなさいよ。あなたは私のコピーなの。
コピーに指図されるいわれはないわ」
こういう場合にどうすれば良いのか私には
わからなかった。
ただ私はおろおろしていた。
本物の淳子はまくしたてる。
「あなたがこんなものを作ったからいけないのよ。
どうして、私とつき合いたかったのなら、私にそう言わないの?
それとも、私がこういうことばかり言うから、
素直なコピーの方が良いのかしら?
私だって、好きでこんなことを言っているわけじゃない。
なによ、この紛いものになんか、好きなようにはさせないわ」
本物の淳子は、 手元にあったケーキナイフを私の淳子の胸につきたてた。 獣のような、としか形容できない声をあげて、滅多つきにした。 もちろん、私は止めに入った。 しかし、遅かった。 私の淳子は倒れ、身体から血の海が広がる。 私は泣いた。泣き叫んだ。 虫の息ながら、私の淳子は私の手を握り、 それでも「愛している。幸せだった」といった。
はじめて、私は淳子を責めた。
私は血まみれのまま、涙声で責めた。
「どうしてこんなことをするんだ。
どうして、どうして、僕の淳子を奪うんだ。
僕が愛を注いで作った淳子を奪う権利なんか君にはない。
君は本物かも知れないけど、本物にだって、
僕の淳子の命を奪う権利なんかありはしない」
淳子も血まみれだった。
「あなたとこの複製品が
仲良くしているところを、一緒に楽しそうに過ごしているのを、
私がどんな気持で見ていたかわかる?
妬ましくてならなかった」
「私はこの女が許せなかった。
あなたを一人占めにして、
私ができなかったことをし、言えなかったことを言った」
「あなたは、私の複製を作るのに失敗なんかしていなかったわ。
完璧に正確な複製品を作っていたのよ。
だから、この複製は、私の本当の気持をあなたに言えたのよ。
素直になれなくて、
ずっと私が言えなかったことを
この複製は私に断りもなく言った。
それがどうしても我慢ならなかった」
「そうよ。
私はずっとあなたのことが好きだった。
だから、私はあなたと喧嘩して以来。
誰ともつき合っていないし、
結婚もしなかった。
あなたがそうしたように、私もあなた以外とは一緒になるつもりはなかった。
でも、この女があなたを私から奪おうとした。
それが許せなかった。
たとえ自分の複製でも…」
しかし、私は血の海の中で、 息絶えた私の淳子にすがって泣いていた。