言葉を字句通り解釈した場合に、 本来の語義からは隔たってしまうことがある。 例えば、テレビ観賞。 これはテレビ番組を観賞することを指すのであり、 「ほう。これはいいテレビですな。 画面はフラットで、消費電力も少なさそうですな。 どれ。ちょっと中を見てもいいですか?」 などと、テレビ受像機を観賞する行為を指してはいない。
この手の言葉は非常に多い。 タイトルの 『フォントいじり系』 という言葉もそういった言葉のひとつである。 これは、テキストサイトの一宗派を指す言葉であって、 試みに Google あたりで検索すれば、 わらわらとそういうサイトが見つかることだろう。 初心者は、 こういった種類のサイトをフリーのフォントを配布しているサイトと思いがちだが、 実際には、 彼らはシステムにインストールされたフォントそのものをいじっているわけではない。 正確には HTML のフォントタグを駆使して、 テキストに何らかの表現力を付加する技法を用いる人々を指している。 だから、彼らを指して 『フォントいじり系』 というのは不正確であり、 『フォントタグいじり系』 というべきなのだが、 一般的に通用している呼称は 『フォントいじり系』 である。
これはテキストサイト界でのヌーベルバーグであって、 最初にこの技法を試みたサイトは日に数万アクセスという人気を誇っている。 よく考えてみれば、 HTML のフォントタグをいじっているだけなので、 HTML を書く以上、とりたてて目新しいことはなく、 誰でも思いつきそうなことなのだが、 あくまでもそれは後から考えればの話であろう。 どんなにつまらない発明・発見でも、 最初にやった人はやはり偉大である。
フォントいじり系に共通に見られる属性として、 特に男性がサイトの主宰者である場合に、 やたらに男気を強調するという傾向が見られる。 これは最初に成功したサイトを見習っているのではないかと思われる。 小心翼々たる筆者などは、 こういうのはフェミニスト団体からバッシングを受けるのではないかと 人ごとながら心配してしまうが、 人気があれば何であれ勝である。
さて、 フォントいじり系のみならず、 最初のサイトは何をやっても新鮮だが、 最初のサイトがそれでうまくいったからといって 後続のサイトがそれを摸倣してもうまくいくとは限らない。 良くて「判でついたように千篇一律」、 悪くすると「○○の真似」などといった誹謗を浴びる場合もある。
そこで、今日は、 フォントいじり系サイトを開設しようと思う読者のために、 独創的なフォントいじり系サイトの研究をしてみよう。
前書きでも指摘したが、 フォントいじり系というのは言葉の便宜であって、 真にフォントをいじっているわけではない。
もしも、現在の状況から頭ひとつぬきんでたサイトを作ろうと思うのなら、 真にフォントをいじるべきだと筆者は考える。 ただひとつだけ難点があり、 ある程度のプログラミングの知識が要求されることだ。
また、ブラウザも限定される。 インターネット・エクスプローラ 5.01 あるいは 5.5 の ユーザに限られてしまうところが痛い。 さらに、ユーザがサービスパックを当てている場合も無効である。 とはいえ、油断しているユーザはまだまだ多いので、 サイト開設時にそれなりの効果をあげてアクセスを稼げば、 あとは雪だるま式にアクセスは増えるであろう。 まさに、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉通りである。
ん? なんか、たとえが違ったような気がしないでもないが、 それはおいておいて先に進もう。
具体的な方法を説明する。 まず、友だちから Nimda あるいは SirCam などを分けてもらう。 で、 システムのフォントを書きかえるようなプログラムを実行させるように書きかえる。 具体的に何をどう書きかえればいいのかは、 各人の独創に依存するので、 その辺は各自工夫していただきたい。 あとは、これを自分のページに仕込めばいい。 すると、あなたのページにアクセスすると、 あら不思議。 フォントが変わってしまうのである。 これぞ、フォントいじりの真骨頂である。
さらに、 あなたの新手法を強調し、 在来のサイトに一線を画すようなキャッチフレーズも忘れてはいけない。 俄かには思いつけないのなら、 次のような文言をトップページに貼り付ければいいだろう。
俺は漢です。 この度、 似非フォントいじりサイトを駆逐するべく立ち上がることにしました。 フォントいじりといいつつも、 今までのサイトはフォントタグをいじるだけの羊頭狗肉サイトばかりです。 俺は漢です。半端はやりません。 そこで、 真のフォントいじりサイトを立ち上げました。 真のフォントいじり、 真の漢の心意気を理解してもらいたいと思います。
フォントいじりというのは、 システムのフォントや使用ブラウザに依存する。 筆者が数種類のブラウザを用い肉眼で確認したところによると、 ブラウザやシステムフォントの差異によって、 笑いをとるところで、滑ったりしているケースがままある。
つまりは、 閲覧者も自分と同じブラウザを使用していることが多いだろうという、 脆い前提に立っているために、 制作者の意図通りの効果をあげ得ていないということである。
別に滑っても構わない、見える人だけに見えればいい、 というのもひとつの考えではある。 が、落ちで滑った場合に、 人間性を疑われたり、 この人は電波系なんじゃないかと、 思われたりすることもままあり、 油断がならない。 一般に、 サイトの評判を上げるには多数の人間の支持がいるが、 評判を下げるにはごく少数で十分なのである。 それを考えると少数者切捨ては得策とはいえない。 いや、むしろ切り捨てるなら、 中途半端にみえてしまうというのが一番まずい。
この問題は HTML などというものに頼っているから生じるのである。 従って、意図した表現が適切に伝わるように、 PDF でテキストを書けばいい。 これなら、 フォントの大きさ、 色合いなども意図した通りに読者に伝えられるだろう。
それに、PDF のテキストサイトというのは、 まだあまり見かけない。 やるなら今のうちで、 フォントいじりに意義を見出している読者には、 ぜひともすすめたい方法である。
なお、画像ファイルを使うという方法もあるが、 それは誰でも考えそうなことであり、 ブラウザですんでしまうという点が、 なにやら大衆に対する媚びが感じられていやらしい。 あくまでも、 読者に一手間かける 別ソフトのインストールが必要というところがポイントだからである。 そうすれば、 次のような、孤独な『漢』の後姿を演出するようなキャッチフレーズが書けるだろう。
俺は漢です。 俺は生ぬるいフォントいじり界に戦いを挑むことにしました。 漢なら新天地、新境地を求めて精進して当たり前です。 俺は生ぬるい HTML で自分の表現が限定されるのを潔しとしません。 そこで、サイトのコンテンツはすべて PDF を使用することに決めました。 俺は自分の表現を制限してまで、 大衆に媚びようと思いません。 漢は孤独をよしとするものです。 俺は孤独であっても PDF での表現追求に命賭けたいと思います。 俺についてくるなら、Acrobat Reader 入れて出直してください。
究極の表現力というのは肉筆に宿る。 フォントいじりというのは、 所詮既製品のシステムフォントを使用しているに過ぎず、 そういう枠組みの中で表現を追求しても限界がある。 そこで、是非肉筆で日記やコラムを執筆して、その壁を突破しよう。
この手の手法はまま見かけるもので、 手法自体は新鮮なものではない。 しかし、従来の手書き日記というのは、 レポート用紙に鉛筆やボールペンで走り書きした程度のものが大部分であり、 今ひとつさえないのは、そういったところにも原因があると思われる。 技法自体がいけないわけではないのである。 そこで、本格的に毛筆による執筆を勧めたい。
黒々とした墨、 かすれやにじみを伴う毛筆の筆蝕にこそ、 人は不退転の覚悟と並々ならない表現への決意を見出すものであり、 男気を売り物にしたいのなら 是非とも自分自身の手で書いたテキストで勝負するべきだと筆者は考える。 字が下手だからと躊躇してはいけない。 筆跡だけは絶対に第三者の追従を許さず、 そこにあなたの独自な表現を読者は見出すであろう。 出来合いの毛筆体のフォントを使った気取りなど、 肉筆の表現の前には色あせて見えること間違いない。
ついでに、 プロフィールにはふんどし姿の後姿の写真を掲載するともっとよい。 和太鼓などに向かっていると言う事なしである。 間違っても、前から撮った写真を使ってはいけない。 きりりと締めたふんどしの後姿には、 無言で読者に 「俺について来い」 というメッセージを投げかけるからだ。
なんか、見てきたような様なことを書いてしまったが、 実は、筆者はこの技法を用いて成功しているサイトを知っているのである。 最後は、 筆者のブックマークに入っているそのサイトのキャッチフレーズを引用して、 このフォントいじり系のガイダンスの締めくくりとしたい。
な〜にぃ、みてるのよ〜。
あたしはみせもんじゃないのよ〜。
興味半分の人はおことわりよ〜。
女子供には用はないわ〜
あたしと涅槃する覚悟のある漢だけ来なさいよ〜。
うむ。なんかおかしい。 たしか、この前までは、 プロフィールにふんどし姿の写真を掲げた男性のサイトだと思ったのだが…。