アンドロイド・メイド

ぽかぽかとして気持ちのいい日だった。 私はいつの間にかソファでうたた寝をしていた。 ぐっすりというわけにはいかなかったが、 うたた寝は気持ちよかった。 しかし、概してこういう時に限って邪魔が入る。

電話がなっている。 私はしぶしぶ電話に出た。

「はい。外崎です」
「もしもし、中町警察署の者ですが、外崎隆夫さんはご在宅ですか?」
「あ。はい。私が外崎隆夫です。なにか、ご用でしょうか?」
「登録番号 YKL-1374497 のアンドロイドは外崎さんのものじゃありませんか?」
「えーと。番号だけを言われても、にわかには…。 どんな服装をしていますか?」
「ワンピースを着ていますが。イギリス風の。 なんというのかな? この柄は…。 とにかく、イギリスの伝統的な落ち着いた感じの柄のワンピースです」
そのワンピースは三年前に先立った妻の形見だった。 確かに、うちのアンドロイドに違いなかった。
「ああ、それなら、確かに私のアンドロイド・メイドです」

そういえば、さっきから家の中に静江の気配がない。

「で、そのアンドロイドですが、徘徊しているところを保護されました。 中町警察署に出頭して引き取ってください」
「あ。はい」
「その際には、身分を証明できるものと、印鑑が必要ですから、 必ず持参するように」
「承知しました。すぐに伺います」

やれやれ、また、静江は勝手に家を抜けだして、 町にふらふらと出かけていったらしい。 私は、急いで、市民 ID カードと印鑑を持ち警察署に向かった。

警察署でたっぷりと絞られた。 静江が警察に保護されたのは、これで、三回目だ。 警察官は、 アンドロイドの管理責任は私にあるので、 町中を徘徊したアンドロイドが物を壊したり、 人に危害を加えた場合には、私が罰せられるということを注意し、 アンドロイドの管理者としての心構えについて長々と説教した。 それから、 私のアンドロイド・メイドの静江はあまりに型が古いので廃棄処分にしたほうがいいだろうとも忠告した。

実際、静江は古い型のアンドロイドだった。 いかにも機械だと言わんばかりの声。 融通の利かない音声認識。 ぎこちない動き。 どれをとっても、新型にかなわなかった。 だいたい、静江が私の家に来た時点で、 だいぶ古くなっていた。

そもそも、静江は会社で一度廃棄処分になったアンドロイドだった。 それを私が哀れに思い、 廃棄業者に引き渡したことにして自分の家においたのである。 もちろん何かのあてがあったわけではなかった。 予想通り静江は私の家に引きとられてからも何の役にも立たなかったし、 それどころか、時々家をふらふらと抜けだして、 こうして私に迷惑をかけさえした。 だから、静江は文字通りお荷物以外の何物でもなかった。

静江がうちに来る前には、会社で雑用係をしていた。 電話の取り次ぎ、伝言の受け付け、 コピーとり、お茶汲みなどを一手に静江は引き受けていた。 FAX、留守番電話などを備えた歩くパソコンだと思っても そんなに現実からは隔たっていない。

会社の仕事で、 本当に人間の判断が必要とされるものは思ったほど多くなかった。 だから、この手のアンドロイドを購入した会社は多かった。 しかし、今の機種でもそうだが、 使いこなすにはかなりの手間と忍耐を要した。 なまじ、人間の形をしているのも災いしたのかもしれない。 子供向けの漫画に出てくるような、 自分で思考して、 適切な状況判断ができるようなアンドロイドとは訳が違い、 音声認識も融通がきかないし、 当然のことながら人間の話すあいまいな言葉を必ずしも理解できなかった。

例えば、「おい、お茶」などと言っても静江には通じない。 「静江。お茶を下さい」 などと言わなければお茶をいれてくれなかった。 「おい」では、静江は自分に命令が下されたとは思わず、 知らんふりをしていた。 もちろん、「おい、お茶」でも動作させるように設定を変えることは可能だったが、 今度は、自分に対する命令以外の音声も拾ってしまうおそれがあった。 この場合、どんな動作をするかわかったものではないので、 安全のために融通の利かない設定で運用していたのである。

それから、このアンドロイドは会社の合理化には多少の貢献をしたが、 反面面倒をみてくれる人間を要求する厄介者でもあった。 そういう点では、大昔のワークステーションや汎用機とは何の変わりもない。 そして、アンドロイドの静江の面倒をみる担当がこの私であった。 私はあと 5 年で定年で、実質的な窓際族だったが、 アンドロイドの面倒をみるという大義名分があったためにリストラは免れた。 逆に言えば、アンドロイドを導入すれば、 管理するための人間をのぞけば大幅なリストラが可能になる。 これが高価であっても、 会社がアンドロイド・メイドの導入を決めた本当の理由である。

そういうわけで、 私はアンドロイド YKL-1374497 に静江と名づけ、管理して来た。 私はこの手のメカには詳しかったから、静江を支障なく使えたが、 同じ部署の連中は違った。 彼らはしばしば融通の利かない静江に苛立たされた。 私は人の形をしていても、所詮パソコン程度のものに過ぎないので、 あくまでも機械を操作するつもりで接してほしいと言ったが、 なかなか理解してもらえなかった。 彼らは等しく『ユーザインタフェース』が云々という理屈を こねはじめることが多かったが、 私は導入を決定した人間でもなければ、 アンドロイドの製造元でもない。 私に文句を言っても時間の無駄でしかなかった。 だいたい、なんであれ道具というものを使うのに、 予備知識なしで使えると思っている方が間違っている。 鉄板をたたいて作った鍋やフライパン程度の原始的な道具ですら、 使いこなし、管理維持するのにはそれなりの知識が必要だ。 それ以上に複雑なアンドロイド・メイドなら、 要求される知識の水準も桁違いに高い。 どうも、前世紀に個人用コンピュータが爆発的に普及して以来、 道具の使いこなしに関しては人間は退化したとしか思えない。 何もしないでも道具は使えるものと思いこむ人間が多くなった。

そういう思いこみのせいで、静江はずいぶんと災難を被った。 アンドロイド・メイドは機械である。 感情はもちろんないし、痛みも感じない。 だから、 同僚たちはむき出しの感情を静江にぶつけた。 殴ったり、蹴ったり、 静江が自分の思い通りにならないと、 そういう形でうさを晴らす者もいた。 しかし、それでも静江は文句を言わなかった。 もっとも、管理者である私には誰が何をしたかだいたい見当がついた。 静江が傷ついただいたいの時間と動作履歴と突き合わせれば、 誰がやったか割り出すのは難しくなかった。

ものわかりのよく、職場でも評判のいい人間が 意外に暴君であったり、 几帳面で神経質そうな人間が相当なずぼらであることも私にはわかっていた。 もちろん、その逆もあった。 粗暴そうな人が意外に細やかな気づかいをしたり、 意外に繊細であることも、私にはわかった。

人間は人間を相手にした時には、自分を必ず偽るが、 機械を相手にした時だけは、正直になった。 人間を相手にする時に慎重に振る舞ったとしても、 機械を相手にした時には自分をさらけ出した。

静江のおかげで、私は人の思わぬ素顔を知ることになったが、 それでも、静江が傷つけられるといい気分はしなかった。 もっとも、 私は静江をチューニングし、カスタマイズしていた管理者だ。 静江は単なる機械であり、それ以上でもそれ以下でもないことは、 この私が一番よく知っている。 しかし、静江は人間の形をかたどって作られている。 私には人間の形を模したものに、乱暴狼藉を働く感覚が理解できない。 しかも、できは悪いものの、静江はずいぶんと私たちのために働いてくれた。 いくら機械とはいえ、そういうものをいたずら半分に傷つけたり、 鬱憤晴らしに使う感覚は絶対に理解できなかった。

最後に、静江が引退する日が来た時、 上司から、静江をそのままスクラップ工場に送り、 破砕すると聞かされた。

大昔には、人形をそのまま捨てることはなかったという。 いや、人形ばかりではなく、針やはさみのような道具ですら、 働いてくれたことに感謝し、供養したと聞いている。 ましてや静江は見かけは人間と同じで、 喋り、人の話を聞いて働くアンドロイドだ。 それを、事もなげに破砕すると言う。 一体いつから、人の心はこんなにも荒んでしまったのだろうか? 以前に比べて、現代の人間は道具の扱いが下手になったようだ。 よほど、昔の人間の方が、 道具を愛し、その性能を引き出していたような気がしてならない。

なにやら、年寄の愚痴が混ざってしまったが、 これが静江がうちに来た顛末であった。

さて、そんなことを思いつつ、 私はしばらく悩んでいたが、ついに決心した。 静江のコントロールパネルを操作して、歩行を不可能にした。 私は独りごちるでもなく、静江に話しかけるでもなく、つぶやいた。

「静江。お前はまだまだ働ける。 だが、警察からも言われた通り、これ以上お前が徘徊すれば、 お前には廃棄命令が下されるだろう。 だから、今、私はお前が歩けないようにした」
「だが、破壊されるよりはこの方がいい。許しておくれ」
「きっと悲しく切ないだろう。悔しいだろう。無念だろう。 最後の最後まで、壊れるまで、工場出荷時のままでいたいだろう。 だが、あとはずっとこのままでいなさい。 その方がお前のためだ」

一条の涙が私の頬を伝っていった。

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