20xx 年の 8 月 13 日から 15 日までの三日間、 日本は、いや、アジアは熱かった。 この物語は、 その三日間ひときわ熱かった首相官邸を舞台としたドラマである。
小池首相は、この日かねてから予定していた靖国神社参拝を行った。 靖国神社参拝を行った総理大臣としては歴代五人目である。
終戦記念日である 8 月 15 日に参拝を行いたいというのが総理の意向ではあったが、 国内外の情勢と国益を考慮した結果、 この日に靖国参拝を行うこととした。 総理は靖国参拝の意向をかなり早い時期から表明していたが、 周辺諸国から抗議とわが国の軍国化への憂慮の声があがったのは言うまでもない。 同時に、国内世論も賛否両論真っ二つに分かれた。
小池首相の靖国参拝表明で、外務大臣は周辺諸国への対策にかなり苦慮したし、 内閣官房長官の私も大変な苦労をすることになった。 しかし、そんな愚痴をここで言っても仕方がない。
私の立場ではこの件について何一つ言えるわけではないが、 首相の意向もわかるし、それに反対する意見も理解できる。 それでもはっきり言えることは、 いかにも 15 日の参拝はまずかった、 ということである。 史料によれば、この問題については、 既に参拝をした四人の総理大臣もかなり苦慮したらしい。 しかし、 13 日参拝という形でこの問題を解決した内閣があった。 妙案である。 以来、13 日参拝が前例となっていて、 当然、今回もこの前例に倣うことにした。
もっとも、13 日参拝の線で総理を説得するのは結構大変だった。 靖国神社参拝を推進する国会議員の会からは、 終戦記念日の 15 日に参拝しなければ意味がないと言う声があがり、 その一方で、 日をずらしても、 国内外の参拝反対派の抗議は相変わらずだった。 さらに、何時参拝しようとも、 政教分離という憲法の規定に違反するという意見だけは抑えようがない。
それでも、靖国参拝を行った総理大臣は何人かいたし、 いずれの総理大臣も 15 日参拝を企図していた。 小池首相もご多分に漏れず、 総理大臣として 15 日参拝をしたいと言い出し、 周囲が時間をかけ、さまざまな方法で説得にあたったのだった。
ことに小池首相は『いいだしたら聞かない』ことで有名であり、 みずから、『信義をモットー』としていた。 従って、それなりに面子を立てなければ、 小池首相の政治生命にも影響する。 そういったわけで、 13 日参拝で妥協することは大変なことだった。
とはいっても、小池首相だって、政治家であることに変わりない。 最初は渋っていたが、 今日になって、折れ、13 日参拝を受け入れた。
一応、最後の最後まで、15 日参拝を考えていたことを アピールするために 13 日参拝が行われた際の談話と 15 日参拝が行われた場合の談話を作成し、 ともに報道関係者に公開した。 もっとも、15 日参拝は絶対に行われない。
一夜あけた。 各紙の朝刊は一斉に昨日の首相の靖国参拝について報じている。
参拝反対派が軍国化などといって、 今回の参拝を槍玉にあげるのはまだ理解できる。 しかし、 参拝推進派が、 総理の昨日の参拝を公約違反などというのはどう考えても腑に落ちない。 中には、『見損なった』とかコメントする政治家もいた。 これは、小池首相にとっては、もっとも気になる言葉だろう。 しかし、一国の総理大臣である以上、 小池総理にはこらえてもらわねばなるまい。
さて、明日は終戦記念日である。 戦没者慰霊祭など総理の予定はびっしりとつまっている。 当然のことながら、報道関係者に配る資料のチェックなど私も忙しい。
ちょっとした用件があったので、総理の秘書に電話をかけてみた。
「もしもし、総理は?」
「総理は散髪に床屋へ行かれています。
明日がある。と、おっしゃっていました」
「そんな予定は聞いていないが」
「しかし、この時間は一応フリーとなっております」
言われてみればそうだった。
「なるほど。それではあとで電話する。
総理にはよろしく伝えてほしい」
私は受話器をおいた。
しかし、こともあろうに明日を控えて、散髪とは…。 もっとも、明日は公式の行事がとりわけ多い日ではある。 公式行事の前に散髪したくなる気持ちもわからないでもない。
ん? なにかおかしい。
今日、散髪に行く…。 確かに、昨日までの総理の髪は長く伸びていて、 いくら長髪がトレードマークとはいっても、 この暑さではむさくるしい印象をぬぐえない。 しかし、よく考えてみれば、そういう伸び放題の頭で、 総理は昨日の靖国参拝を行ったことになる。 昨日の靖国参拝は、公式には公私の別を明らかにしていないものの、 総理大臣としての参拝だったはずだった。 だとすれば、明日の戦没者慰霊祭以上に、 昨日の参拝の際には身なりを気にしなければならなかったはずだ。 いや、あの総理のことである。 そういう細かな点にこだわって、普通であった。 しかも、昨日の参拝は総理自身が希望した参拝である。 そんなことを考えると、今さら散髪するというのは、 ちょっと妙な話ではある。
まあ、とにかく、ここのところ、総理も忙しかったし、 時間が取れるのは今日しかなかったのかも知れない。
熱くて長い一日が始まった。
今日の朝刊にも、一昨日の参拝についての解説や評論が出ている。 それに、 終戦記念日なので、 太平洋戦争の出来事に関して触れている記事・解説も多い。
総理は本日の分刻みの予定を確実にこなしている。 考えてみれば大変なことだ。 もっとも、私にとっても、演説原稿などのチェックやその他もろもろの 気を抜けない仕事がとりわけ多い日であるといえる。
一応予定していた公式行事は終わった。 が、このときに、総理は行方不明になった。 秘書に問い合わせると、 かねてからこの時間から 1 時間ほどフリーにしていたと言う。 そういわれればそうだった。 しかし、 何もこんなに忙しい日にフリーな時間を取ることもないだろう。
確認してみると、総理は SP を同伴しているらしい。 なおかつ、 慰霊祭が終わった直後に、礼服のまま消えた…。 嫌な予感がする。 昨日わざわざ散髪している。 そうか! もしや…。
入った情報によると、慰霊祭に出席した足で、 総理は靖国神社に向かったらしい。 再度参拝する気に違いない。
そうだ。甘かった。 私もそうだが、世間も、ありとあらゆる報道機関も、 そして、あらゆる国の政治家も、 13 日に参拝した事実を見て、早合点していた。 13 日に参拝したからと言って、 それで終わりだといったい誰が決めた? 仮に 14 日の段階でも、まだ明日がある。 うかつだった。
ニュースが本日の再度の総理の靖国神社参拝を報じている。 しかも、今度は 13 日の参拝とは違って、完璧に神道形式に則っている。 参った。 既に、15 日参拝を予定して作成した首相談話は 14 日の段階で公表してしまっている。 あれを使うわけにはいかない。 いったいどうすればいいというのだ。
ある参拝推進派議員が 「きっと小池総理ならやってくれると思っていた」 などとコメントしている。 馬鹿なことを言うもんじゃない。 一昨日の夜のニュースでは、 総理のことを公約を破った云々などとコメントしていたくせに。
どこかの暇な新聞社が急遽電話アンケートを実施したらしい。 無作為に抽出した 500 世帯に電話をかけ、 二度にわたる首相の靖国参拝について意見を聞いたそうだ。 これによると国民の靖国参拝の支持率は 63% だったらしい。 そんな数字はとっくにシミュレーションで出ている。 問題は、日本の政権の支持率ではないのだ。
中国と韓国政府から駐日大使を帰国させる旨通告があったと、 外務省から報告が来た。 ニュースなんか見ている場合ではなくなった。
おそらく、中国や韓国の政治家たちは、 いまごろぽかんとしているのに違いない。 彼らだって、日本の総理大臣が、 一日置いて 二度も靖国参拝するなんて予想できなかったはずだ。
中国と韓国が抗議声名を出している。 そりゃ、抗議声名の一つも出したくなるだろう。 中国と韓国の政治家の顔は完全につぶれてしまった。 日本に弱腰な現政権などと、 反対勢力が一般民衆を煽って、 政権奪取に乗り出すに違いない。 これが一番おそれていたことだった。 外務省のシミュレーションと寸分違わない。
外務省からの報告によると、 本日、中国の共産党指導部が交代したらしい。 まだ中国政府からの公式発表はない。 あの日以来、中国は一気に政情不安に陥った。 日本政府に弱腰な指導部は交代を余儀なくされた。 地方では、内戦まがいの紛争も起こったらしい。
一方で、韓国だが、とっくに大統領は交代してしまっている。 新しい大統領は、有名な反日家である。
一気に、両国とも反日勢力が政治の中枢を占め、 軍備の拡張を進めている。 こうなると、東アジア一帯は一触即発の火薬庫と同じ状態である。 アメリカは原子力潜水艦や空母などを日本に派遣せざるを得なくなった。