私はある水産会社に勤めている。 大学で海洋動物学を専攻していた関係上水産会社に勤めたわけである。
最初のうちは、調査船に同乗し、 鯨の生息数等を調査するのが私の主な仕事だった。 当時としては、これは閑職だった。 しかし、あと数ヶ月で商業捕鯨が解禁になるために、 突然私は激務の中心に投げ出されることになった。
失われかけた捕鯨の技術を、 解禁の日までに復活させなければならない。 会社は私に捕鯨の技術の研究を命じた。 捕鯨船の装備や銛のうちかたなどを文献から調べ、 また引退した捕鯨関係者から昔の技術を教わった。 古老から教わった技術は一世紀も前の技術だったが、 私は会社にそれを採用するように進言した。 どう考えても無駄がなく、 現代の人間の浅薄なアイディアを受け付け得ないほどに、 失われかかっていた技術は洗練されていた。
これは会社の上層部も納得してくれたし、 結局他の水産会社の動向もわが社と同じで、 一世紀前の技術をそのまま採用することになった。 もっとも、銛の材質は最新の合金の採用が検討されたし、 その他細部でも現代の技術が用いられ、 まったく前世紀と同じわけではなかった。 それでも、 銛をうって、 一騎討ちで鯨をつかまえるという方法はそのまま残ったのである。
波の高い海を見ながらそんなことを考えていると、
操舵室から船長が顔を出して、私に向かって叫んだ。
「主任さーん。この先に鯨が浮いてます。どうします?」
「生きている様子ですか?」
「いや、潮も吹いていないし、死骸かなあ?」
船長は双眼鏡をのぞきながら私に叫ぶ。
「とにかく、主任さーん。こっち上がって来て見てもらえせんか?」
私は操舵室まで上がっていった。 揺れる船ではしご段を登るのはきつい。
「主任さん。大丈夫ですか?」
船長が私を気遣ってくれた。
「ええ。なんとか…。双眼鏡をちょっと借ります」
「あ、どうぞ」
私は他の船員のように体力がある方じゃない。 大学で青白い顔をして文献を読んでいただけだったので、 腕の太さからして彼らとは全然違う。 最初に捕鯨船に乗りこんだ時には、 ひよわな青二才の分際で海の男たちに指図をする管理職でもあったせいか、 ずいぶんと苛められたし、からかわれた。 それでも、何度か一緒に同じ船に乗り、 同じ釜の飯を食うにつれて、 彼らは私を受け入れてくれるようになった。
さて、双眼鏡で見る限り、たしかに、 船の進路に浮いているものは、死んだ鯨だった。 私も船長もまたかと思ったが、 死骸であっても一応の調査が必要だ。
「あんなものひきあげたくないですが、
会社の命令なのでしかたないですね」
「そうですなあ」
船長も苦々しい顔をして、うなずいている。
「船を出して、母船まで引っ張って来てください」
「そうしますか。しかし、気が進みませんなあ」
しばらくして、鯨の死骸が母船まで引っ張られて来た。
船員の安全のために、船内放送で船長は命じた。
「全員、許可あるまで、鯨に近づかないこと」
一方で私の準備は整った。 放射能防護服を着用し、ガイガー計数器を手にした。 船長も同じいでたちで、私の後についてくる。
鯨の死骸に近づくにつれ、ガイガー計数器が音を立て、針がふれた。 鯨の死骸はひどいありさまだった。 小型のミンククジラだったが、 頭に 30 センチ位の穴があいている。 多分、この鯨の頭の中はぐちゃぐちゃになっていることだろう。 例によって、アメリカの掃鯨艇の仕業だ。 ずいぶんと、ひどいことをするものだ。 一応、報告のために写真を撮影し、体長や体重、それから、 おおよその年齢などを調べてから、 死骸を廃棄することにした。
一般的には、死骸とはいっても、解体すれば使える部分はある。 が、 アメリカの掃鯨艇にやられた鯨だけは使えなかった。 連中は、劣化ウラン弾で鯨を射殺する。 その結果、死骸が放射能に汚染されるため、使えなくなってしまう。 だから、 もったいないと思いつつも捨てるしかなかった。
「やれやれ、ばち当たりなことを…」
船長がぶつぶつと文句を言っている。
私も同感だった。
私は鯨やイルカの研究をしていた。 だから、私は彼らを殺すのは忍びなかったが、 それでも、捕鯨には反対ではなかった。 捕鯨で鯨を殺す分には、鯨の死は無駄にはされない。 それに、捕鯨は砲手と鯨の正々堂々の一騎討ちだ。 アメリカの掃鯨艇がやるように、劣化ウラン弾で、 死骸すら目も当てられないような殺し方をするのとは訳が違う。 だいたい、こちらは食料確保のために、 食べる分だけ、売る分だけしか殺さない。 しかし、連中は鯨を殺すために殺すのだ。
アメリカは前世紀に、かなり強硬なやり方で捕鯨を禁じた。 鯨やイルカは人間に近い知能を持っていて、 それを殺して食べるのは野蛮で残酷だというのがその理由だった。 しかし、 数年前に、 ヨーロッパの高名な海洋動物学者が一篇の論文を発表したために、 この状況は一変した。 この論文は海洋動物学に留まらず、 生物学、いや、政治や軍事にすら影響を与えたと言ってもよかった。
その論文の内容をわかりやすく言えば、 鯨やイルカは人間より高い知能を持っているということだった。
この論文は世界中に衝撃を与えた。 ことに、アメリカ海軍は軍事行動を展開するにあたって支障となるため、 鯨類のせん滅が必要だと主張しはじめた。 潜水艦を始めとする艦艇の原因不明の事故は、すべて、 鯨類の仕業だとまで言い出した。
揚げ句の果てには、鯨類は人間よりも高い知能を持っているために、 いずれは人間が鯨類に支配されてしまうかも知れない、 というデマまで流れた。
以来、鯨もイルカも保護の対象ではなく、せん滅の対象になったのである。 そして、 同時に、鯨を殺す捕鯨も再び認められるようになったのであった。 もっとも、あいかわらず、 鯨を食べることはゲテモノ食い扱いされていたが。
保護する際には、 人間に近い知能を持っているが、 人間より劣るということがポイントだったのである。 保護対象が人間より高い知能を持ってはならない。 これが重要で、 人間より高い知能を持っているものは、 映画にでてくるエイリアン並みの扱いが適当で、 せん滅させるしかなかった。
これがアメリカが率先して鯨殺しに精を出している理由であった。 保護する時も、全滅させる時も、アメリカの論理は身勝手であった。
もちろん、そういった情報は日本にも伝えられたが、 捕鯨解禁の報に接して、 鯨が再度食べられると思って喜んだ人の方が多かった。 しかし、喜ぶのも今のうちだ。 この調子だと、鯨の肉は再度高騰するだろう。 アメリカが全滅させたがっているからだ。 しかし、鯨肉を食べるには、全滅させてはならない。 今でこそ、捕鯨解禁に水産業界はわいているが、 今度は鯨類保護に乗り出さないといけなくなるだろう。 あと五年もすれば、 捕鯨国の日本が鯨類保護国の急先鋒になるのは間違いない。 なんとも皮肉なことである。
さて、また鯨が見えると舵をとっている船員が叫んでいる。 今度はちゃんと潮も吹いている。生きた鯨だ。 もちろん、是も非もなく、あの鯨は仕留める。 ここ数日、 残酷な殺され方をした鯨の死骸ばかりを見ていた船員たちは躍り上がった。
船首に銛を装備した小さな船が、鯨との一騎討ちに向かっていった。