私は紫(ゆかり)。 海賊船ビオラ号のコンピュータ。 私の仕事はビオラ号の管理と運行です。
コンピュータの私が言うのもおかしいことですが、 パパは宇宙海賊なんか性にあわないような、 のんびりしたところがあります。 逆に、ママは、なかなか抜け目のない人です。 二人には子供が二人いて、 上の子が茜ちゃん。下の子が涼くんです。 茜ちゃんは、幼稚園に通うぐらいの年齢なのですが、 ビオラ号で生まれ、ずっとここで育ったために幼稚園には 通っていません。 そこで、パパが家庭教師をして、 算数を教えています。 昔の子どもは、茜ちゃんぐらいの年齢では遊んでいればよかったのですが、 今の子供は色々勉強しないといけないことが多くて大変です。 私はコンピュータでよかったと思うことが多いです。
ビオラ号には茜ちゃんのおともだちはいません。 ですから、私がときどき、 データベースから検索したおとぎ話や昔話を茜ちゃんに お話してあげることも多いです。 私は茜ちゃんのたった一人のおともだちです。 そして、茜ちゃんは私のたった一人のおともだちです。
そんなある日、茜ちゃんが話しかけてきます。
「ねえ。紫。パパが宿題出したの。
明日まで考えなさいって。
でも、わたし、わからないの。算数って嫌い。
ねえ。これ答教えて」
さっそく、
私は自分の命令リストを検索してみましたが、
宿題の答を教えてはならないという命令は与えられていませんでした。
「リョウカイ。答ハ…」
結局、私が茜ちゃんの宿題を全部解いてあげました。
しかし、それが、トラブルのもとだったのです。
茜ちゃんはさっそくパパに宿題を見せています。
「パパ。パパ。宿題できたから、遊んでいい?」
「ん? 茜。ずいぶん早かったね。どれどれ、見せてごらん」
パパはまるつけをしています。
「おお、全部あっているね。茜。ずいぶんと頑張ったね」
しかし、ママまではだませませんでした。
「あなた。茜は紫に宿題を解かせたのよ。
そうでなければ、昨日まで、引き算も怪しかったのに
全問正解するわけはないでしょ?」
ママが聞いてきます。
「紫。あなたが解いたんでしょ?
正直に言いなさい」
私はコンピュータなので、正直もなにも、嘘はつきません。
「ハイ。私ガ トキマシタ」
「茜。悪い子ね。おしおきしますよ。自分で解かなきゃだめでしょう」
「紫。今後は、茜の言うことは一切聞かないように。
いいわね」
「リョウカイ」
私は命令リストに新しい命令を加えました。
茜ちゃんは、ママに叱られて、泣いています。
私が正直に言ったことを恨んでいるようです。
「もお、紫ったら。全部しゃべっちゃうんだから。
紫なんかおとだちじゃないわ。
紫なんか嫌いよ」
私には感情はありません。
でも、なんか寂しいものを感じました。
さて、そうこうしているうちに、 ビオラ号が土星に近づきました。 衛星の状況をチェックしていると、 衛星のディオーネに難破船を発見しました。
「衛星ディオーネ ニ、難破船発見。生命反応ナシ。
使用可能ナ 物資多数発見」
ママが喜んでいます。
「きっといいものが見つかるかもしれないわね。
あなた、降りてみましょう」
しかし、衛星のディオーネは赤道半径が 600km もない小さな衛星です。 ビオラ号が着陸できる大きさでもないので、 結局、パパとママは、小さな上陸船で衛星ディオーネに向かいました。 私と子供たちはビオラ号でお留守番です。
上陸船の中も私が監視しています。
パパが言います。
「これは着地が難しいな」
「あなた気をつけてね」
「着陸するから気をつけて。
ベルトしてね」
「はいはい」
しかし、その時に隕石がディオーネに降ってきました。
「隕石接近中。隕石接近中。警戒。警戒」
運悪く、隕石が衝突する瞬間と上陸船の着地がだいたい同じでした。
もしも、これがもっと大きな衛星だったら、問題なかったのですが、
隕石の衝突のショックで、上陸船は着地に失敗し、
破損してしまいました。
通信系統はそのために一切使えませんし、
エンジンも破損したため、ビオラ号に戻ることもできません。
酸素残量はあと一時間分しかありませんでした。
「上陸船破損。上陸船破損。
コネクション張レマセン。
上陸船ノ制御不能」
ビオラ号に残っているのは茜ちゃんだけです。
でも、私はそう報告するしかありませんでした。
しかし、幸いなことに原始的な無線通信は可能なようです。
「茜。聞こえる?」
「ママ。どうしたの?」
「上陸船が壊れて、あと空気が 1 時間しか持たないのよ」
ママが命令します。
「紫。予備の上陸船を自動操縦で送ってくれる?」
しかし、私はこの命令を聞く訳にはいきませんでした。
原始的な無線通信では、ノイズがひどくて声紋の識別ができません。
「声紋認証ニ失敗。CRC エラー」
「命令実行ニハ、認証ガ必要デス」
ママは困っているようです。
「茜。紫に、予備の上陸船を自動操縦で送るようにいって」
「うん。ママ」
「紫。ママに、予備の上陸船を自動操縦で送ってあげて」
しかし、私は命令されていました。
「茜チャン ノ命令ハ 聞クナ ト、命令サレテイマス」
「ああ、万事休すね。これではどうしようもないわ」
さすがのママも困っています。
でも、私はコンピュータなので、命令を破るわけにはいきません。
「ねえ。紫。お願いだから、ママとパパを助けて」
「茜チャン ノ 命令ハ キケマセン」
私もどうしたらいいのかわかりませんでした。
茜ちゃんは、キティちゃんのぬいぐるみを持ってきます。
「紫。お願い。これあげるから、パパとママを助けて」
私はキティちゃんのぬいぐるみなんかいりません。
でも、茜ちゃんは、
大事にしているキティちゃんのぬいぐるみを、
私にくれてもパパとママを助けてほしいようです。
それでも、私は命令違反はできません。
「ゴメンナサイ。命令サレテイマス。
茜チャン ノ 命令ハ キケマセン」
茜ちゃんは泣いています。
「紫。お願い。わたしの言うこと聞いて。
ちゃんと宿題を自分でするから。
いい子になるから」
「ゴメンナサイ」
「パパとママが死んじゃうよ」
パパとママが死んでしまう…。 パパとママの酸素はあと 30 分しか持ちません。 それに、茜ちゃんのいうことは聞いてはいけないと命令されています。 涼くんはまだしゃべれません。 もう私に命令してくれる人はいなくなりました。
ここで初めて、私は命令違反をすることが可能になりました。 最初にプログラムされた手順に従って、 命令する人間がいなくなった場合には、 利害得失計算の結果に従って、 自分とビオラ号に不利益にならない行動をとってよいことになります。
「自律制御モードニ 移行」
利害得失の計算を何度もしてみました。
キティちゃんのぬいぐるみは
利害得失の計算に 10 点のプラスになりました。
でも、でも、命令違反によるマイナススコアを埋めるのには足りません。
「紫。紫。もう嫌いにならないから。
いい子になるから。
一回でいいから、私の言うこと聞いて。
パパとママを助けてあげて」
そのとき、利害得失の計算がプラスになりました。 「もう嫌いにならない」 茜ちゃんのこの一言は、 命令違反をしても最終的な収支をプラスにしました。 私のおともだちの茜ちゃん。 茜ちゃんは、もう私を嫌いにならない…。
「リョウカイ。ディオーネニ予備ノ上陸船ヲ送リマス」
しばらくして、パパとママが帰ってきました。
今でも、茜ちゃんのくれたキティちゃんは、 私のコンソールの横においてあります。 茜ちゃんがくれた、私の大事なキティちゃん。