当時私には妻がいた。が、今はいない。
「結婚して一人前」という言葉がある。 かっては私も、 現代風なリベラリストが言うように、 結婚するのもしないのも個人の自由であって、 そういう言い方を旧弊な思想とみなしていた。
その時私はヨーロッパのある国に住んでおり、 その国の人間がするように、 妻と私は、休日ごとにハイキングを楽しんでいた。
異国の植生や変わった景色を見ながらハイキングコースを歩くのは楽しかったが、 ことあるごとに、妻と私は喧嘩になった。
私は妻よりも歩幅が広い。 だから、どうしても妻よりも歩くのが速くなってしまう。 5m も距離があくと、 妻は、なぜそう速く歩くのか? なぜ、歩調を合わせられないのかと、 私をなじった。
妻よりも私の歩調は速いのかもしれないが、 私にとっては、 一番疲れない速度であった。 一日に、十数キロも歩くとなると、 一定した歩調で歩くのが一番疲れない。
しかし、 私は妻の歩調に合わせることにした。
妻が言っているのは、 文字通り、 歩く時の速さを同じにせよということであるが、 そのときに、私は最初の「結婚して一人前」という言葉を思い出していた。 もしも、結婚しなければ、 こんな些細なこともわからなかっただろう。 独身だったら、一生マイペースの歩き方しか知らなかった筈だ。 すくなくとも、 人の歩みに自分を合わせるということは、思いもよらなかったに違いない。
そのときに、前から黒づくめの若い青年が歩いてきた。 彼は、まるで、 ムーミンに出てくるスナフキンのようだった。 実際、 かぶっていた帽子も、スナフキンがかぶっていたような、とんがり帽子だった。 ムーミンのスナフキンと違うのは、 私が見たのは黒づくめだったという点だ。
歩みは速い。 あっという間に、私たちとすれちがい、 あっという間に、遠ざかっていった。
私たちは喋りながら、冗談をいいながら、 歩いている。 しかし、 彼は、一人でうつむき加減に黙々と歩いていた。
私は、ずっと、彼が見えなくなるまで、 彼の後ろ姿を見ていた。
私は彼がうらやましくなっていた。 結婚して一年半だったが、 うつむき加減に、 しかし、話す相手もなく一人で歩ける彼が羨ましかった。
その後、ずっと、その黒づくめのスナフキンが忘れられなかった。 妻と話している最中でも、 黙々と歩く彼の後ろ姿が目に映ったこともしばしばだった。
逆説的な話だが、 そのときにも「結婚して一人前」という言葉を思い出していた。 結婚しなければ、 一人で、黙って歩けることの良さも理解できなかっただろう。
私が離婚したのは、日本に帰ってきてすぐのことである。
私が妻を殴ったのが原因だ。 些細な口論がこうじて、私は妻に手をあげた。 妻は、いろいろと詳しかったので、 家庭内暴力が云々という言葉と法的な用語を使って、 私を責め、「離婚」という言葉を言い出した。
もっとも、私は、法的な処分を逃れようとも思わなかったし、 警察官が来てもかまわなかった。 結局、私は法的にどうこうされることはなかったが、 私たちの離婚話はとんとん拍子に進んだ。
実は、私は、その機会を狙っていたのだった。 何がなんでも、私は解放されたかった。 刑法犯として処分を受けても、私はあのスナフキンの様に歩きたかった。 あの時ほど、自分の思い通りに周囲が動いてくれたことはなかった。 ただ、それを妻は知らない。