私は不夜城東京を流しているタクシードライバーだ。
東京という街を不夜城という言葉でたとえるのはおかしいかもしれないが、 今では都市全体が高層建造物のようにみえるので、 そんなに的外れな比喩でもないだろう。
今では、東京の高層部は地上 300m 以上のところに達している。 大昔の地面があったところは今では誰も立ち入らない低層部の最下層部だ。 この低層部にはゴミや瓦礫が溜まり、 昼間でも陽がさすことはない。 もしも、出入りするものがあれば、 中層ないしは高層階からの落伍者たちか、 あるいは、犯罪者である。 今や、東京の低層部は官憲の手も寄せつけない危険地帯と化している。
だから、 もしも、 あなたが二十世紀後半から二十一世紀前半にかけての東京の面影を見たければ、 中層部にいくとよい。 例えば、渋谷なら、あいもかわらぬ光景がその中層部で展開されている。
その日、私は湾岸中央で拾った客を、表参道まで運んだ直後だった。 タクシーはできるだけおおくの客を乗せ、 後部座席を空にしないようにするのが一番だが、 客に恵まれない日というのも当然存在する。 所在なく、 ぶらぶらと、車を走らせていたら、 宮下公園のバス停付近で、 手をあげた女がいた。
今どき、手をあげて流しのタクシーを拾うなんて珍しい客だ。 通常は、ブロードキャストで付近のタクシーを呼ぶのが普通だが。 とにかく、車載スコープが古典的なパフォーマンスで タクシーを止めようとする客を発見したので、 私は車体を女に寄せて、停車させた。
ドアをあけると女は乗りこみ、湾岸部のあるホテルの名を私に告げた。 私は黙ってドアを閉めた。 この女は大昔の宇多田ヒカルという歌手にそっくりだった。
運行記録メモリに客を乗せた時刻と場所を記録する。 21 時 28 分 43 秒、宮下公園バス停前。 次に、中央管制室にそのホテルまでいく道順を問い合わせた。 即座に答が返ってくる。 応答は次の通り 「高度 250m ヲ維持シ、 パケット ID MPK-TKY-451032 ノ メッセージ ニ従ウコト」 私は、メッセンジャーに ID をインプットして、 ロックをかけた。
それから、車体を急上昇させ、指定の高度まで浮揚させた。 一応、ヘッドライトを点灯させる。 別にヘッドライトなどなくても、 送信されるメッセージに従えば運行に支障はない。 しかし、それでは、客に不要な不安を与えてしまう。 だから、 無駄は無駄だが、ヘッドライトを点灯させて航路を照らすのである。
あとは、退屈な仕事だ。 今日は航路が多少混んでいるので、 そんなにスピードを出すわけにもいかない。 到着するまで 10 分はかかるが、仕方がない。 女に到着時刻を告げると、 女もそんなに時間がかかるとは思えなかったとみえて、 携帯電話を取り出した。
丸井なんかが、あっというまに後ろのほうに流れていく。 さすがに、渋滞とはいえ、空中を航行するタクシーだから、 大昔のタクシーとは訳が違う。
しかし、携帯電話かあ。 しかも、骨董品屋に置いてあるような、 第三世代の携帯電話である。 発売当初は動画が送信できるので、 テレビ電話のように使えると評判だったらしいが、 今では、第七世代の通信方式を使った、 計算機一体型のウェアラブル情報端末か、 人体埋めこみ型のものが一般的だ。 これだと、「思うだけ」で相手と通信できるので、 面倒な操作は一切いらない。
なんか、女は、無意味に自分の表情の画像を相手に送って、 数分遅れる旨連絡している。 細い帯域を目一杯使って、馬鹿馬鹿しいとしか思えないが、 新世代の携帯電話が登場しても、 交わされる会話の内容は二十世紀からは進歩していない。 まあ、こんなもんだろう。
そうこうしている間に、客の指定のホテルについた。 私は金額をパネルに表示した。 女は、クレジットカードで支払うらしい。 指紋とアイマークの照合をし、女を降ろした。
私は中央決算室に支払データを送る。 もちろん、金に絡むことは、 完全に暗号化された通信チャンネルを使う。 最後の段取りが、 中央管制室への報告である。
「無人フロートタクシー TKY-TXI-FLT4300239、 降車記録ヲ 送信シマス。 乗客 ID MPK-TKY-451032 ヲ、 21 時 38 分 15 秒、インターコンチネンタル・東京ベイ ニテ降車」
ん? その通り、私は人工知能搭載の浮揚型タクシーだ。 だいたい、 こんな時代に人間がわざわざ運転するなんて考える方がどうかしている。
※ BGM は宇多田ヒカルの traveling でどうぞ。