外部記憶

こんな雑文を書いてみようかと思った。

今日は彼女とデートだ。 二人で岬を巡り、 ちょうど日没のころをねらって、 半島の突端にある この岩場に来た。 私は彼女の腰に手を回し、 彼女は私にもたれかかる。 絶好のチャンスだ。

だが、 私は岩場で滑り、 間抜けなことに潮だまりに はまってしまった。 びしょ濡れだ。 せっかくの夕日を台無しにしてしまったが、 災難はそれで終わらなかった。 乾いた服に着替えたかった。 誰かに持ってきてもらおうにも、 携帯電話は水につかり、 黙ったままだ。 連絡がとれない。 幸い、彼女も携帯を持っている。 が、 私は救いを求めるべき 電話番号を知らなかった。

携帯電話には電話帳がついている。 いまさらなのだが、 便利だなあと思って感心している。 直接入力した番号はもとより、 かかってきた電話の番号も、 非通知でなければ、 電話帳に吸い上げられる。

しかし、 恐らく、 携帯電話を持っているすべての人がそう思っているように、 携帯電話の電話帳に頼るようになってから、 電話番号をおぼえられなくなってしまった。 脳の老化もあるのだろうが、 まったくランダムに生成したサーバのログイン用のパスワードを 7 個、 SSH 用のパスフレーズ (30 文字以上ある)を覚えていられるので、 10 件程度の電話番号なんてわけないはずだ。 にもかかわらず、 両親の携帯電話の番号ですら覚えられない。

さらに、 電話番号が覚えられないと、 余計な出費を強いられることにもなる。

普通の電話には、 そんな便利な電話帳がついていない。 だから、 目の前に安くかけられる電話があっても、 ついつい携帯電話に手が伸びてしまう。 その度ごとに、 携帯電話会社の思う壺にはまっていると思うのは、 私ばかりではあるまい。

手帳や PDA をみる。 あるいは、 携帯電話の電話帳を見るという手間をかければ、 そんなことにはならないのに、 そういう些細な手間ですら、 惜しむようになる。

鞠小路さん携帯電話中毒の話 をしていたが、 携帯電話を自宅などに置き忘れて落ち着かなくなるのは、 電話帳のせいもあるだろう。 おそらく、大抵の人には、いわゆる『たいした電話』はかかってこない ということはわかっていて、 かかってくる電話を逃すことを心配している人は少ないだろう。 しかし、電話を家においてくると、 電話を受けることが出来なくなると同時に、 電話をかけることも出来なくなるのである。 公衆電話を使おうにも、 かける先の番号がわからないと、 どうしようもなくなる。

携帯電話の電話帳に百件以上のデータを入れているケースも珍しくない。 そうなると、 携帯電話は単なる電話ではなくて、 自分の脳を補う増設メモリのような存在になってしまう。

そんなことが可能だとしての話だが、 脳の一部が取り外し可能だとして、 それを家に置き忘れて不安にならない人間など恐らく皆無だろう。

電話帳に登録した都度、手帳に書き留めれば そういう不安も解消されるが、 なんであれ、 バックアップというのは後手に回りやすい。 手帳に控える矢先に電話を忘れてしまい、 だから手帳に控えないといけないと思いつつ数日を過ごしていて、 また、電話を忘れてしまう…。 冗談のようだが、 こういう話はありがちだ。

そんなことを考えているうちに、 私は決心した。 携帯電話の電話帳は 『見るだけ』 にする。 番号が表示されるから、 それを見てから、 あらためて番号を押して電話をかけるのである。

多分、 私と同じ不安を感じ、 私と同じことをしている人は多いはずだ。

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