#tsu 全記録
さらば#tsu
僕が#tsuというものを知ったのは、それがネットから消失して随分経った後だった。
SceneCritiqueで、僕らはゲーム仲間の小さなIRCチャンネルを維持している。秘密のチャンネルで、僕らはゲームの戦略を共有し、集まっては話し合い、そして散ってゆく。ネット上のゲーム空間を共有する僕らの目的は、ネットゲームという場で過ごす心地よく緩やかな時間を可能な限り効率よく維持することで、従って僕らの関係はいつもある距離を置いた平行線のままだ。自分たちのホスト情報も隠れているし、仲間内でサーバを立てることもない。外に向かって開かれたいろいろなネットゲームが提供してくれる人格が、このチャンネルでの僕らの全てだ。IRCはそれを補強するものにすぎない。ゲームで有望そうな仲間が見つかれば、僕らは誘いをかけて、以後のゲームが有利に進むように働きかける。IRCにいる時間にゲーム以外のことを話すこともないわけではないけれど、僕らの時間は決して無限ではないから、ゲームがチャンネルでの僕らの活動の全てを規定している。僕らが旅の合間にしばし寄る安全な野営地が、SceneCritiqueのIRCチャンネルというわけだ。
彼に初めて接触したのはこのチャンネルでのことだった。ゲーム上ではなく、IRCのチャンネルで、はじめて彼 - Sとしよう - と知り合ったのだ。メンバーの誰かがゲーム上でSにこのチャンネルの存在を教えたらしい。一緒にゲーム上のミッションに参加することもあったが、Sは取り立てて上手いというほどではなく、むしろ慎重すぎて失敗が多かったように思う。僕らのチャンネルは小さいとはいっても複数の小組織が属しており、遊ぶ人数に困るようなことはない。Sとはスタイルが合わないので、ゲームを共にする機会も減っていった。他の仲間達も同様だったのか、Sがチャンネルに来ることも少なくなった。僕らのチャンネルは新しい仲間もそれなりに受け入れるが、あまり大きくならないのは、出ていく者がいるからなのだ。人的関係に問題が起こるわけではない。個々のメンバーが己の力量を自覚して必要があればふさわしい場へ身を移すだけで、実に穏便なものだ。Sがそのように身を処するのも時間の問題に見えた。
そんなとき、たまたまこちらの時間が合わずチャンネルで待機していたことがあった。Sも同じように待っていたので大した付き合いが無いにも関わらず形式的な会話が始まった。他のIRCチャンネルを知っているかと言われたので、僕はいくつかゲーム系チャンネルを教えた。Sが出ていくものと考えていたからだ。代わりにSも良いチャンネルを教えてくれるかと期待したが彼はそもそもゲーム系のIRCへの新参者であまり知らないと言った。また時間の都合で今アクティブに参加しているのはこのチャンネルだけだという。僕はゲームのIRCチャンネルこそそれなりに参加しているし、海外のチャンネルにも顔を出すが、普通のチャンネルに長期間滞在した経験は全く無い。ゲームは娯楽のためにやるけれども無意味なチャットで徒に時間を潰すほど暇ではないのだ。流れでSに以前参加していたチャンネルを聞くと、面白い物があるので見せてやるという。Sが僕に見せたのは、あるチャンネルのログの一部だった。最近の物ではない。日付は2000年だ。僕はそれを読んでみた。
2000年の4月から始まるログを1月分ほど読んだ時点で、そのログの奇妙な内容に僕の心はすっかり奪われてしまっていた。もちろん僕も生の会話が行われる場としてのIRCの性格は承知しているから、過去ログを読むという行為はそこに参加する行為とは完全に異質であるということはわかっているつもりだ。僕がもらったログも読みやすいとはお世辞にも言えない代物で、読みながら不快になることもしばしばだった。部分部分は、確かに見るに耐えない屑に過ぎないし、そのチャンネルに集った連中に共感するところなど微塵もない。それにもかかわらず、ログを読み進み先の展開を知ろうという欲求は、途上の面倒を凌いでいたのだ。読み進むほどに伏線が明かとなり、人々の会話から秘密のパターンが顕れてくる。このチャンネルは僕のように後日ログを読む者の為に存在したのではないか? 僕はそんなことすら邪推した。
Sに続きを請求し、チャンネルに来た彼がその都度2月分ほどを送って寄越すということが何度か続いた頃、彼が思いがけない話を僕に持ちかけてきた。ログを最後まで見せてやるから、公開用に編集してくれないかというのだ。僕は2つ返事でそれを受け入れた。彼はそれを喜び、僕に残りのログを全て与えた。残念なことにログ自体はそこで終わってしまったが、僕の中に、それを再度見返す作業を厭う気持ちは不思議と無かった。Sは既に公開の場所も決めていたので僕は作業を急ぐことになった。歴史資料館というのがその場所だ。そこではテクストを整理して陳列することがメインで、素材についての所見は省くのが慣例となっているが、今回は全く部外者の僕の視点からの解説も、IRCログという散漫で猥雑なテクストを読み解くための一助として資料に加えても差し支えないという。
こうして僕は、全く見知らぬ過去への奇妙な回顧の旅へ立つことになった。僕はこのログが形成された周辺の状況について何の知識も無かったので、ログの背景事情についてSやSの協力者に尋ね、ときには歴史資料館のコンテンツを参照しながら欠落を補充してゆくという地道な作業が続いた。そんな作業がある段階を迎えようとした頃、Sは遂に僕らのチャンネルへ姿を見せなくなった。以来連絡はない。僕のやるべき事は、手元に残ったこのチャンネルのログから精製した資料を歴史資料館へ上梓し、公開を待つ事だけである。このチャンネルの名を#tsuといい、ログは2000年4月から2000年末に至る。HTMLファイルへ整形した段階で、サイズは35MBとなった。作業開始の時期は#tsu開設からちょうど2年後にあたり、作業は約1か月で終了した。
僕はSに無言のさよならを送るとともに、僕自身も、二度と再会することの無いであろう#tsuの全てへの訣れをここに書き記す。1年遅れだが...
2002年5月末日
世紀末UG
ログそのものの展示に至る前に、2000年頃のネット事情に触れておこう。
どのようなIRCチャンネルにせよ、多かれ少なかれ外部の基盤が無ければ成立し得ない。#tsuの場合の基盤とは、2000年当時の、日本語インターネット上の「アンダーグラウンド(UG)」と呼ばれる場だった。ただ、2000年2月に我が国で不正アクセス法が成立し、それによってコンピュータへの不正侵入行為の違法性は明確となったので、その時点から不正侵入に関する情報を流布していたサイトはセキュリティの美名を背負う形へ方向転換しており、#tsu開設時の2000年4月には、既にその趨勢は事情に聡い者にとっては明らかだった。しかしながらこと#tsuに関しては、不正アクセスに至るほどの重大な行為への関心というよりは、UG(この単語自体がある種の魅力を持ったらしい)の備えるスタイル、雰囲気、風俗に対して関心を持ち、軽薄な憧れを抱いた者達がその主体となったといえる。そして、その象徴となったのが、匿名性を増すための公開プロクシサーバー("串")の使用や、ホームページに設置する手軽なインタラクティブコンテンツである掲示板を操り、時には破壊するための、スクリプト言語PerlのリテラシーとCGI、そしてUnixの知識だった。とは言え、海外で所謂"script kiddie"という語は、我が国では該当物が存在しない。なぜならば掲示板が存在したからであり、WWWサーバ自体ではなく、特定ユーザのアカウントと、その掲示板への影響力の行使が、その社会の文脈でのコミュニケーション単位として十分な意味を持つ、シンボリックな行為として成立し得たからである。小さく軽い物を愛する日本人の精神はここでも生きており、戦争も宥和も全てがこの掲示板上で起こった。掲示板を破壊する行為は「荒らし」と呼称される。日本におけるアンダーグラウンド、いやむしろそこから変異していったネット固有のUGと自称する矮小な社会の出来事の大半は、所詮コップの中の嵐であった。
掲示板は、スクリプト言語Perlで書かれ、CGI(Common Gateway Interface)としてWWWサーバに設置された。ドットコムバブル崩壊前夜の当時、無料でアカウントを獲得でき、CGIの設置をも許しているサーバは多数に上っていた。CGIやSSIに許可された機能として、訪問者のIPアドレスを取得する手段があり、それを誤魔化すためにWWWサーバとローカルマシンの間を中継する公開プロクシサーバが当たり前のように使用された。何ら不正な行為を行っていないにもかかわらず、それ自身不正な行為である、公開プロクシサーバ使用によって匿名性を増したいという根拠のない強迫観念が当時のUGを支配していた。この点、英語圏のIRCネットワークならば、同国人ばかりが来る訳でもないためにIPアドレスの露出への関心は薄く、またセキュリティ上の理由から露出が好ましくないときは金を払って自前の中継用アカウントを取得すれば済むので、我が国に見られる、常時(FTP接続時を含む)公開プロクシサーバの背後にいたいという欲求は、いささか特殊に見える。WingateやSOCKS経由のIRCも可能ではあるが、今日ではそれを許可するサーバは乏しい。海外でWWW用公開プロクシサーバが専ら使用される場合というのは、WWW上の有料コンテンツを不正に取得する行為の準備を行う場合か、あるいは国家による検閲の厳しい地域から他国のコンテンツへのアクセスを求める場合に限られているように思われる。いずれにせよ、公開プロクシサーバ(俗称"串")は、我が国のUGにとって無くてはならない日用生活品であった。
そうなると、次の展開は容易に予想できる。単なる順列組み合わせである。公開プロクシサーバを使用する者らの行為から設置者を守るための掲示板スクリプトと、公開プロクシサーバに関する情報を得るための場(つまり実際に設置された掲示板)があれば、この単純なエコシステムは完結する。前者は、「カール」という人物がminibbsという一般的な掲示板スクリプトを改造して公開プロクシ規制や連続書込規制を追加した所謂「カール掲示板」であり、後者は、公開プロクシサーバ関係のソフトウェアを配布していた「dimdim」という人物がカール掲示板を改造した「device null掲示板」などを使用して生まれてきた、公開プロクシサーバを告知し共有するための各種掲示板(「proxy store」「proxy diary」などが存在した)であった。さらには、公開プロクシサーバや無料サーバを悪用しつつ掲示板に影響力を行使する、「荒らし」の技術も、このエコシステム("UGシステム")に依りながら存在していた。この文化は1995年から2000年にかけて我が国におけるインターネットの成長と共に成熟し、#tsuはまさにその爛熟期に生まれたと言える。掲示板に加えられる攻撃の対策は画像コードをもたらし、また串掲示板があちこちに乱立した。こうした資源が防御のための盾であったとすれば、攻撃するための矛も存在する。掲示板攻撃用PerlスクリプトCGIも、「アリス・リデル」という人物が付けた「フェイザー」という名称で広く流布していた。今では見る影もない一空間が、世紀末の日本語インターネットに築かれていたのである。#tsuも、このシステムの数限りない産物群の末席に連なるものであったことは間違いない。または、このシステムへの寄生形態の一種であったと言うべきか。
IRCは古い道具で、10年に渡る歴史を持つ。2000年当時でいえば、欧米では既にブロードバンドアクセスないし常時アクセスの恩恵が一般ユーザへもたらされており、IRCへの接続を維持することを苦としない環境が醸成されていた。IRCは冗長だが比較的軽いコミュニケーションであり、安定しているために、現在もそのユーザ層は拡大し続けている。しかるに我が国について言えば、NTTの独占により、一般ユーザ向けデータ通信インフラの整備普及は著しい遅滞を被っており、ブロードバンド/常時接続など夢のまた夢であった。128KのISDN接続で、夜中23:00から朝8:00までの夜間電話料金が定額となるテレホーダイ割引サービスの適用を受ける、それが(常時接続CATVを除けば)精一杯の接続環境だったのである。#tsuはこのテレホーダイ適用時間(「テレホタイム」)の影響を大きく受け、非適用時間にはほとんど来訪者は無かった。2000年を境に我が国に常時接続環境とブロードバンドアクセスが普及していったことからすれば、2000年4月の#tsuの設置は、いささか早きに失した嫌いがある。それが1年後、あるいは2年後であったら? しかし仮定は意味を成さない。何故ならば、ブロードバンド/常時接続の日本における普及に伴い、上述のUGシステムは21世紀を迎えた途端に崩壊していったからである。回線が安価な資源となるとともに、かつて繁栄していた"串"掲示板群は、全て寂れてゆき、そこに存在していた筈の文化は滅びていった。笑ってしまうくらい単純な唯物論的図式が、ここにあったと言わざるを得ない。
では広帯域/常時接続の台頭によってIRCの相対的地位が向上したかといえば、必ずしもそうではなかった。ICQ等のIMサービスが、簡便なコラボレーションツールとして、一般に注目されるようになったのである。IRCは、例えばSEGAドリームキャストのためのチャットとして採用されたり、マイクロソフトチャットの基盤技術として引用されることはあったが、遂にIRCそのものとしてはメインストリームたりえることはなかった。その非主流派的な位置が、海外のアンダーグラウンド文化("scene")がIRCを事実上メインのコラボレーションツールとして認めている要因の一つであるのかも知れない。少なくとも#tsuを開設した「麒麟檸檬」という人物は、そのことを念頭に置いていたはずである。
IRCチャンネル#tsuは、日本のUGシステムを基盤としていたために、まずクリアしなければならない絶対条件があった。それは、UGシステムの不文律とも言える、IPアドレス"漏れ"への恐怖に配慮して、参加者がそのIPアドレスを隠蔽できなければならないという点である。現在では信じられないことだが、当時の参加者達は、IPアドレス情報の漏洩について異様なまでに神経質であった。相手のIP取得すなわち相手の旗の獲得、というほどの重要な意味が、上記のUGシステムの文脈上では成立し得たのである。従って、誇り高くかつ臆病な参加者たちのために、公開SOCKS/Wingateサーバ経由のログインが許可されなければならない。また「麒麟檸檬」はチャンネル参加者を全く信用しておらず、基本的に性悪説を貫き、海外流のチャンネル管理術をそのままに#tsuに導入しようと試みた。その為には、チャンネル権限やニックを保持するための補助サービス(chanserv/nickserv)も無ければならない。また、日本からの接続がある程度高速で、ラグの起こりにくい小規模ネットワークが望ましい。これらの条件を満たすIRCネットワークとして、アメリカのFEFnetが選ばれた。さらに、日本語チャンネル内で、当時日本語会話に対応していなかったmIRCの使用を可能とするために、チャンネルの日本語コードは(JISではなく)ShiftJISとするという珍しいルールも導入され、これを強制するためのeggdropボット(無人IRCプロセス)もチャンネルに置かれた。しかし、#tsuが凡百の海外チャンネルと大きく異なるのは、「麒麟檸檬」自身もオペレータとならず、このボットだけがオペレータ権限を握っていた点にある。「麒麟檸檬」は共同管理者を求めず、参加者は可能な限りチャンネル運営全般から遠ざけられていた。あくまで、参加者はパブリックな空間での会話に徹するべきであるというのが#tsuのポリシーであり、あたかもそこには+oや+vというようなチャンネル参加者の上下関係が全く存在しないかのようであった。
そうしてチャンネルを形成してはみたものの、実際のところ「麒麟檸檬」には明確なプランは全く無く、その後のチャンネル運用は極めて場当たり的であった。IRCそのものの認知度が低いために、その認知から始めなければならず、チャンネルの質以前の問題の解決が急務だったのである。そこで「会」と称して、#tsu上に人を集め、座談会的なイベントを開くということがしばしば行われた。当時の企画一覧はここにある。#tsuのチャンネル自体は24時間存在しているにもかかわらず、固定メンバーがほとんどおらず、「会」毎にメンバーが替わることも珍しくなかった。また、「麒麟檸檬」という人物の自己中心的な性格が災いしてか、チャンネルが大きく発展する機会もついに無かったのである。それでもチャンネル自体は2000年の4月から12月まで続き、同種のチャンネルが存在せず比較はできないものの、一定の成果が挙がったことは認めねばなるまい。単純にログの量からしても、同種のテーマを扱う掲示板のそれを遙かに上回っている。推測にすぎないが、ログの端々からは、「麒麟檸檬」が#tsuをある種の実験的環境として捉えていた様子が読み取れる。それがチャンネルを発展させることのできなかった彼の戯言なのか事実なのかは定かではないが、少なくとも#tsuに限って言えば、彼の実験は失敗だったとするのが妥当な評価であろう。それにもかかわらずログ自体は様々な教訓を含む素材として高い価値を持つと思われる。
尚、以下のログはチャンネルでの発言のみを収録してあり、当然ながら、個々のユーザ間で1対1で交わされるプライベートメッセージ(PM)は完全に欠落している。PMもIRCの重要な要素であるが、それこそは参加者の特権であって、誰も侵犯することはできない領域に属する。背後でどのような会話が行われているのか、想像をめぐらせて楽しんで頂きたい。
#tsu ログ
ACT 1: #tsu開設
proxylike(串掲示板管理者)とmizuiro(Teamみずいろ)ら、麒麟檸檬のネットでの知己が登場。Yourself(のちHimself、U)が麒麟檸檬
ikimaniaが登場する。"粋(iki)"は、1998年頃に存在したサイトの名称で、麒麟檸檬は#tsu以前に関連サイトを運営していた
第一回の会として、「proxy掲示板横断IRC大会」が企画される
第一回の会が開かれる。SJISルールが浸透しておらず抵触する者が続出する。「proxy store」(串店)管理人Kojikiが登場。当時mp3サイト"Samba de Compose"(「えみみ」管理)やwarezサイトなどの違法サイトに対する掲示板荒らしを行い、「アリス・リデル」開設の「死の灰」掲示板で、他の無名掲示板荒らしとの死闘を演じて話題を呼んだ、御堂岡(mido-oka/タレコミ掲示板管理)が初登場。
会の2日目。掲示板荒らしの「二代目怒羅絵悶」(dora)が現れる
mooこと後のundef登場。
第2回の企画、「掲示板セキュリティの現在」が開かれる。御堂岡の友人で腐れ同盟という団体のアクティブなメンバーだった荒らしの厭己(_yu_ki)が登場。荒らし対策掲示板AngelBBSの作者でA&Dというサイトを運営していた「てんし」(rucifer)が登場。この「てんし」は、後にタン先生というハンドルで著作権法に違反する行為を行い、ISPのピュアネットから退会させられたという話が広がった
proxylikeが退避用チャンネルとして#under_tsuを作る
常連によってTeam SamDeco Killerが作られ始める
ハカーhiro登場
第3回の企画、「「リンク集」「ニュースサイト」 - 飽和の時代」が開かれている。JPNICクラックで名高いハッカーr00tZer0([ChocoBB])が現れる
_yu_kiのネット上での知人で、「ガクト」と名乗っていた精神病歴のある少年が、自分のウェブサイトで自殺予告を行い、自殺
「ガクト」自殺に伴い厭己はネットを引退、御堂岡も一時引退
Team SamDeco Killerのサイトの管理パスが厭己からundefへ渡る
undefが、独断で新SamDeco Killer(SDK)サイトを作り直す
「カール掲示板」の作者カールがJavaを利用したIPアドレス取得掲示板を発表した
第4回の企画「wired children - 虚構と現実の狭間で」が終わる
第5回企画「第2回PROXY系掲示板横断IRC大会」
ACT 2: 暗闘#sdk
御堂岡の導師、Unixマニアの黒揚羽(ageha)登場
#tsuがパブリックで誰でも自由に出入りできるチャンネルであり、カール掲示板作者「カール」の監視下に入ったので、undefがデリケートな情報を扱うための秘密チャンネルとして#sdkを創設、#tsuの常連を呼び入れる
麒麟檸檬が一週間不在となり、その間に#tsuに置かれていた麒麟檸檬の2体のボットをundefが互いに争い合うように仕向ける
麒麟檸檬が修正を加えボットの争いは収まる
麒麟檸檬が修正の際にundefと半角「ワラ」をキックするようにボットに仕込んだことが明かとなる
#tsuを不在にする前に麒麟檸檬がChaosに依頼していたとおり、児童ポルノ法案についての会がChaosの司会で始まる
#tsuでの会の最中にundefのwar botが乱入し、アンデルセン物語と日本国憲法を流してチャンネルを蹂躙する
麒麟檸檬が戻る。undefは攻撃ボットで#tsuへ攻め込むがサーバー管理者のKILLによって一時撤退。undefは#sdkに+kでキーをかけ麒麟檸檬を閉め出す
なおもundefの#tsu攻撃が続行。それに応じて麒麟檸檬は防御を強める。undefは#tsuへ監視ボットを送りこむ
攻撃の影響で#tsuには参加者が全く無い状態となり、かつての常連は全て#sdkへ流れた
#tsuには参加者がボット以外にほとんど無いにも関わらずさらにundefが様々な手法でのチャンネル荒らしを試行する
監視ボットが麒麟檸檬によってキックされたのでgtdが麒麟檸檬との会話をundefへ報告
サーバ管理者による、undefの攻撃ボットとそのSOCKSプロクシを対象としたKILLが頻繁に起こるようになったため、#sdkはそのメンバーと共にFEFnetを離れ、ブラジルのBrasIRC Networkへ移動する。BrasIRCはChanserv有/Nickserv有/SOCKS可能の要件をクリアしていた
#sdkはBrasIRCへ移転するが何故か移転直後からKILLが続発しさらに移転を試みる
BrasIRCを放棄し、不完全なSOCKS規制はあるものの要件をクリアしていたZeroLimitへ再度#sdk移転。しかしここでは移転直後にチャンネルそのものを問答無用で潰される
2000年6月23日 #kids_room@jp-chat.to
遂に移転先のあてが無くなった#sdkは#kids_roomとチャンネル名を変更し、Chanserv/Nickserv等を備えない日本のIRCネットワークjp-chatへ移転した
久々の企画である「"MP3" MPEG-1 Layer3 の現状と未来」が#tsuで開かれ、undefの攻撃はあったもののボットの防御が功を奏して有意義な時間が共有される
2000年6月24日 #kids_room@jp-chat.to
2000年6月25日 #kids_room@jp-chat.to
2000年6月26日 #kids_room@jp-chat.to
undefが麒麟檸檬を装いチャンネルで自作自演を行う。これを境に#sdkの記録は途絶える
#tsuが新しい防御として自動+i(invite-only)モードを導入しているので退避用として#under_tsuが使用される
undefのボットpm3skinが#under_tsuに現れる
undefが#under_tsuに現れる
undefがquitによるflood攻撃をはじめる
ACT 3: 通な人々
黒揚羽が久々に#tsuへ来訪
2000年の夏、さまざまな関連する掲示板が同時に荒らされるという事件が起きた
企画「"怪談" 恐怖百物語」が行われる。御堂岡が久々に現れる。#tsuを監視していたundefも攻撃ボットを送り込む
SDKに参加していたsmokerが現れ、黒揚羽に荒らし活動の助言を求める
黒揚羽の司会でUnixの会が行われる
乙姫(otohime)という女(後に精神異常者と判明)がproxylikeの紹介で#tsuに初参加する
undefがsmokerの庇護者として登場。以後再びundefが#tsuに明示的に現れるようになる
センターエリア管理人のセンター司教(mamizoo)が身を偽って現れる
御堂岡がundef(Nido)の補助の下で#sdkで会を開催
「アリス・リデル」が#sdkに現れる
第二回Unixの会が開かれる
御堂岡の盟友、荒らしの「ガキ」(gaki)が登場
ishtarがsmokerに送った#tsuのログが掲示板に流出する
undefは登録されていなかった#under_tsuを自分で登録していた
煽り掲示板「世間話の板」管理人のネタLow(low)登場。サムデコキラーとの接触を試みる。またセンター司教はzlsとニックを変えセンター司教として登場
日本語(JIS)対応の新mIRCがリリース。SJISルールが撤廃され、以後3日にわたり会が開かれる
ACT 4: さらば#tsu
「ガキ」の個人情報や、「ガキ」が御堂岡と交わした荒らし相談のメールが、「かめどこきらーず」と名乗る者によってネット上に公開される
ゲスッの弥太郎/ガブリエル狂子(xtel)登場
seraph(乙姫)の煽り行為がundefによって指摘される
最後の会「ITな忘年会」が開催される
船は出航した... 次に還るのはいつだろうか?
EPILOGUE
#tsu全記録 公開記念 特設IRCチャンネル
#tsu2 @ irc.scenecritique.com:6667 (SceneCritique)
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